私刑が行われる時

ちゃらら〜〜〜♪
ちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃっ!
ちゃらら〜〜〜♪
法で裁けぬ悪を裁く、私刑大好き日本人。
でもそれは社会制度には限界があるよってことを示しているだけに過ぎないよね。
法のもと社会が運営されている限り、その法を逸脱した行為は当然のことながら「悪」と捉えられる。だから、法に代わって悪を裁くことはその行為そのものが大抵は「悪」である。だから仕事人は堂々と看板掲げてやるわけにはいかないのだけどね。
問題は、その法が適切に悪を裁いているかどうかが疑わしい時。例えば、被害届を受理しない。これは警察がサボっているわけではなくて、法律に照らして被害に値しなかったり、裁判に持ち込んでも勝つのが難しかったり、というのを予め親切にフィルダリングしてくれている場合が結構あると思うんだけど、やっぱり明らかにこれおかしいんじゃない?という場合も結構ありますよね。それで、「身内がどうの」みたいな話が出てきちゃうとやっぱりね、と。あるいは政治が秘書が不可解な自殺を遂げて死人に口なし、みたいなね。

客観的にみても「悪人」が悪びれないでいる状況に歯噛みをしているテレビの前の人達は多いわけだ。もっともその客観的、というのがワイドショーの誘導的な報道によるバイアスがかかったりしていて非常に怪しいことが多いんだけど、ともあれ、「あんな奴やられちまえばいいんだ!」と思うような人間が大きな顔をしているのを不快に思う人は多いでしょう。
なので

いじめを受け大津市立中学2年の男子生徒が自殺した問題を巡り、対応に当たっていた大津市の沢村憲次教育長(65)がハンマーで殴られ負傷した事件の直後、市教委に寄せられた苦情電話やメールの件数が、事件前の約18倍の273件に急増したことが16日分かった。多くは襲撃を「当然だ」とする内容だった。

http://mainichi.jp/select/news/20120816k0000e040188000c.html

という自体が発生するのは至極当然の成り行きとも言えます。

いや、それが当然というのは結構やばい状況で、司法が信頼を失いつつある、という現状があるよという風に思えるわけですけれどもね。法が正義を執行させる部分が機能していないと思われている。目の前に見えている事態と、期待される結果が噛み合っていないと思う人が多いということだね。
飲酒運転の厳罰化も引き起こした事態に対して法と刑罰のバランスが悪いよという社会の要請からなされているように思うんだけど、それはまだ飲酒運転で事故起こしたら捕まる、という事実があるからそういう方向で動くのであって、法が裁けない、となると誰かが裁かなければならない。それが成立すると思う事自体本当は幻想なんだけど。