はるかぜちゃんベンチマーク

はるかぜちゃん(春名風花さん)がTwitterで大暴れ!(いい意味で)というのが話題ですが、ついに朝日新聞の連載「いじめと君」のトリを飾るまで出世?しましたね。
僕は普段あまりテレビをみないので、はるかぜちゃんはTwitterでの姿しかほとんど知りません。
はるかぜちゃんのTwitterでの発言は小学生にしてはあまりにできすぎているので、裏に大人がいるだろう、という見方もされますが、子供らしい無邪気な言葉が顔を出すので、本人なんだろうと思うことにしています。
さて、そのはるかぜちゃんの「ついり10ヶ条(ω)」というのがまたよくできています。

1 学校の友だちの名前を出さない(ω)
2 守秘義務を守る(ω)
3 きもちをこめてついる(ω)
4 なるべくいろんな話をする(ω)
5 人の悪口はゆわない(ω)
6 絶対にネットでおこったりイライラしない(ω)
7 たくさんの人が読んでくれていることを忘れない(ω)
8 なるべく自分にひはんてきな意見はりついとする(ω)
9 いつも楽しくルンルンルン(ω)
10 早くねる(ω)

はるかぜちゃんも間接的に人の悪口を言っているような気がしなくもないけど…それはともかく、こういう基準すら持たずにただ思考を垂れ流す大人の多いことといったら…
正しい日本語を書こうぜ、とか野暮なツッコミをしたくなったりもしますが、とにかく、この程度のことは全ての人が自分の基準を持っているべきだと思うのですよね。これが正しい、とは思いません。こういう考え方もある、でいいと思う。だけど、自分の中でのルールをきちんと作って守ることで、致命的な間違いを犯す可能性は減ると思っています。ちなみに僕は1,2,7が大原則かな。

他の発言を色々見ても、はるかぜちゃんの考え方は、わりかし原理主義的なラインを引いていて、ベンチマークに丁度良い。子供の頃の正義って大体、人を傷つける正義で、大人の目から見ると危なっかしいものですよね。まさにそんな感じ。だから、はるかぜちゃんを絶賛して、みんなも見習うべき、という気にはなれないし、そう言っている人は大人として大丈夫?と心配になってしまったりすることもあります。まあ、ウェブでの行動においてはるかぜちゃん水準以下の大人がものすごく多い、ということもありますが。

純粋じゃ無くなっちゃった大人としては、正論で真正面から押していけることとそれではダメなことがあることを知っているし、人は仮面を被ることも知っているし、他人を傷つけることを厭わない人ほどある種の純粋さを持っているかもしれないことも知っている。根性がネジ曲がっちゃった人もいれば天使の様な心を保っている人がいるのも知っている。言葉じゃ伝わらないこともあれば、言葉でしか伝えられないことがあるのも知っている。心が出血しながら怒りをまき散らしている人もいれば、ニコニコしながらどす黒いものが渦巻いている人もいることを知っている。はるかぜちゃんもきっと知っているんだろうけれどもね。

でも、たとえば、こう言う。

いじめは、いじめる子に想像力(そうぞうりょく)を持ってもらうことでしか止まらない。

《いじめている君へ》春名風花さん:朝日新聞デジタル

このように、無邪気に人間の善を信じているのであれば、いつか心に深い傷を負うことがあるのではないかな。想像力があるからこそ、いじめを楽しむ人だっているんだからね。

10箇条にしても、穿った見方をすると、あれは心に壁を作るための儀式かもしれないんだよね。

ともあれ、はるかぜちゃんの言葉は我々大人にとっても、ベンチマークとして機能しています。子供の言うことだから、と受け取る必要はなくて、これを今の自分の立場に当てはめた時に、どうするべきか、ということを考えることが大事です。そんなこと考えたこともなかった、ということがあれば、それは自分の中で基準を作るべきことかもしれない。全て正しいって考える必要なんか全然ない。

子供の行動は、大人が自分を見つめなおす鏡になりうるんだよね。ウェブリテラシーという比較的高度な思考が必要な分野で大人の鏡となるはるかぜちゃんはやっぱりすごいと思うし、間違った方向に行かないようにみんなで見守って上げるべきだと思うな。