非対称的なリスク評価

今冬に北海道が節電(停電)するかもしれないという話において、電力足りる足りない論が熱くなってきていますね。
冬の北海道で電力が足りないなんてのは命の危機まで行かなかったとしても、洪水に見舞われるくらいの生活困難状態になる可能性が結構あると思うんだけど。
足りる論と足りない論、双方言い分も根拠もあるけれども、共通しているのはわりと数字が「ギリギリ」であること。見積りとかやったことがある人はわかると思いますが、ぎりぎりの数字が出るっていうのは大抵の場合、心のどこかでその数字になるための力が働いているから、それを実現するための計算式をひねり出しちゃったりするものなんだけどね。なので、どちらかというと足りる論のギリギリさ加減が怖い。

足りなかった場合どうするよ、というリスクがあるんだけど、足りる論はそのあたりがわりかしすっ飛んでいて評価をしていません。何しろ電力会社が供給電力を隠している陰謀論とかがあるくらいだから、足りないなんてことありえないくらいの勢い。でもリスク評価をしないというのは、足りる論者がなぜそのスタンスでいるかという根幹である、原発において過剰なまでにリスクを見積もっているのとは対称的ですよね。

もっとも、足りない論についても現実的に減らせる電力量の見積なんかはしていないところもあって、節電をどのくらいできるのかというあたりをもうちょっと見てみたい気はしています。

正確に見積もるのは難しいとはいえ、「リスクを考えているか」という点は重要だと思っています。なので、リスク評価のない論は机上の空論と切り捨てても良いと思う。リスクに対して仮にそれが起きてしまった場合になんとかする手段があるかどうかについてもきちんとフォローできていれば、多少リスクを背負うことも仕方ないとは思いますよ。だから、まだ足りる論が間違いとも言えないんだけど、きっちりリスクの部分を検討してほしいなあと思います。