いじめと体罰は日本の文化、諦めろ

噴出するいじめや体罰の問題。ああやって自殺なんかがあると途端に騒ぎだし、いろいろと明るみに出ると死が無駄にならなかったと印象を与えるどころか死を無駄にしてはならないみたいな論調まで出てあたかも自殺が高貴な行いであるかのように思わせることがあるけど、地位も名誉も十分にある人のそれとは違い子供の自殺にそんな意味を持たせることはナイーブな精神に一歩踏み出す悪い勇気を与えてしまいかねないと思う今日この頃です。

こういった、そのものを客観的にみた時に犯罪的と言える行為や物品について社会的に上位の概念を持ち出して必要と擁護するのはなにも日本に限ったことではなく、アメリカの銃所有問題なんてのはその典型。禁止に反対する勢力曰く自由を守るために必要らしいからね。
日本においては昨日のAKBの話が象徴しているとおり、誰がどれだけいじめは悪だ、体罰は悪だといっても教育現場の事情によって、あるいは個人の教育観によって、正当化される。そもそも賛美両論出る時点で文化(文化ってのは守るべき大事な物とは限らない)だよな。
AKBの話はどこまでがショーでどこまでがショーでないのかさっぱりわからないので当人については論評できないけれども、ああ言った形でショーに仕立てあげてしまうことが大変醜悪だと思うし、当人の意思なら客観的にみて酷いことでも許容しなければならないという空気が気持ち悪いし、客観的にひどいことを引き換えにすれば禁止行為が免責されるような何かも気持ち悪い。
柔道協会の件はまたこれが日本的な組織の責任を回避するための個人擁護に終始していてつくづくスポーツ界と言うのは世間に隔絶しているんだなあと。

別にいじめや体罰を非難している人のすべてが心の底からそう思っているわけではないとは思うよ。でも、本音が違うから本音を垂れ流すなんていうのは文明化されてない大人だよ。葛藤くらいはあるものなんじゃないの?