天気予報な科学と都知事の作家能力

猪瀬都知事についてはもとより支持していないけれども、前の都知事よりはましかと思っている。作家と言ってもノンフィクション畑で分析力もあるし情緒もある。でもこの人も本質的には右翼方面なんだよな。
彼の言動について、わりかし作家だからという点から擁護の声が上がることがあるのにはそういった背景からは結構違和感がある。
彼のtweetは本来彼が持っているであろうポテンシャルからはかけ離れていて、少なくも単体で自己矛盾を起こしているとしか思えないのがいくつも見られるのはなぜだろうか。おそらくだけど、彼は頭が良いので自分では自明と思われる部分を省略してしまうのだろう。それはそれで余人であれば構わないのだけど、立場としてよろしくないと思うし、せっかく作家であることがなんの役にも立っていないよなあとため息をつくわけです。

こんなのも典型的なそれで、単体でみると「責任を恐れてゆがんでいるが俺は責任を負わせて恐れさせるぞ!!」としか読めない。もちろん、これは「責任を恐れてゆがむようなことをまたやったらそれこそ責任を取らせるぞ(だから恐れずちゃんとやれよ」と言いたいのだと思う。つたわんねーけど。
少なくとも、都知事が作家だからと言う理由でこういう言動が擁護されるのは変だよね。140字の中で矛盾を感じさせることについての天才性など政治家には必要ないのである。
もう一つ問題かなと思うのは、科学だから、というのは本来理由ではないのだ。予報で決まるのは何がどのくらいの確率かで起こるかまでであって、何にどう注意を呼びかけるかはもとより政治の部類の問題であろう。
どうも「天気晴朗ナレド浪高シ」のイメージがあるのではと思われるんだけど、乾坤一擲の大勝負のギャンブル的な判断を日常的な天気予報で行って外れたら腹を切るくらいの責任を恐れない、と言うようなことを求めているようにしか思えないんだよね、この発言では。多分一ヶ月も持たないで気象予報士が死に絶えると思うぞ。
できるだけ政治的にゆがまないことを求めるのであれば、責任を過剰に問うことなんてしないから正確な予報に務めてくださいと励ますのがよいと思うんだよね。