イケダハヤト的「事実に反することへの理不尽な怒りによる社会への提言」が迷惑な件

スルー力低くてごめんね。言語化できちゃたので軽く一席ぶってみることにします。
まず、我々(と勝手に言っておく)がイケダハヤト師をなぜ無視できないのか、ということについて少し理解が深まりました。単に言うことがトンチンカンなことに対して腹が立つのかと思っていたんだけど、そうじゃない部分が多そうなのね。つまり、

  • 世の中の何か対して文句を言っているが
  • その文句の対象が事実ではないあるいは一側面でしかなく
  • なのにそれが悪いかのように提示し
  • 隙だらけの価値観の提示を行う

というプロセスが「何いってんだこいつ」度を極限まで高めるということですな。

ぼくはサラリーマン(会社員)という労働スタイルを否定しているわけではありません。日本の労働者の大半は会社員ですし。

イケダハヤトが嫌う「サラリーマン的」なるもの : まだ東京で消耗してるの?

本当にそうかは後で見るとして

まず、「サラリーマン的」という要素のひとつとして挙げられるのが「自分の人生を生きない態度」でしょう。

イケダハヤトが嫌う「サラリーマン的」なるもの : まだ東京で消耗してるの?

ほら、定義からして事実と反している。まあこういうのは確かに難しいんだけど、「サラリーマン的」という言葉に対して要素を定義するのであれば、それが一般的に認められるとか、総体的にそう言えるとか、なんでもいいんだけど「まあそう言ってもいいかな」くらいのコモンセンスが必要なんですよ。あるいは統計的な何かとか。これを見ていわゆるサラリーマンの人がどう思うか。「俺は自分の人生を生きてるぞゴルァ」では?
僕としては、「サラリーマン的」にこの要素を取り込んだ一点を持って「サラリーマン(会社員)という労働スタイルを否定している」と認定してもいい気がしてきますが、まだ保留しておきましょう。

毎日電車に乗って通勤し、淡々と仕事をこなしていれば、それなりの月給が入ってくる。ボーナスに一喜一憂し、ローンの返済に費やす。熱い情熱なんてとうの昔に失っており、今からリスクを取ることなんてできない。「社畜」ということばを、卑屈な笑みをもって肯定してしまう。

イケダハヤトが嫌う「サラリーマン的」なるもの : まだ東京で消耗してるの?

ほらね?酷いでしょ。「毎日電車に乗って通勤」なんてのはそれが効率いいからであって目的でも何でもない。「淡々と仕事をこなしていれば、それなりの月給が入ってくる」会社もあるだろうけど、出世しようとか(もっと月給がほしいとか)仕事そのものにやりがいがあるとか、そういうことだってある。「ボーナスに一喜一憂」はそりゃするでしょ。収入が多ければ自由が多くなるわけで。別にローンを全員が持っているわけでもないし。「熱い情熱なんてとうの昔に失って」いる人もいれば野望に燃えている人だっている。僕は仕事楽しい(今は辛いけど)し、情報インフラに少なからず貢献していると思っているし、そのことについて情熱もある。「今からリスクを取ることなんて」というけれども、個人として立つことのリスクなんて大きな会社(や国の機関で)社会を左右するようなリスクの高い仕事に取り組むことに比べたら笑っちゃうくらい理想の低い話だと思う。(もっとも、生活だけのことを考えるとそうでもないけど、それって単に生きるために働くというカテゴリーとしての比較でしかないからね)。「「社畜」ということば」には卑屈さを感じることなく肯定することができるよ!

もうね、定義からして間違っているわけです。

無論、全てのサラリーマンがそうであるというわけではないですが、やはり「毎日会社に行けば仕事が与えられ、それをこなせば給料が支払われる」というライフスタイルは、「自分の人生」に向き合う機会を失わせます。月給は安心をもたらしますが、副作用があるのです。

イケダハヤトが嫌う「サラリーマン的」なるもの : まだ東京で消耗してるの?

で、またしてもこういう否定の仕方をしますよね。これもうサラリーマン全否定でいいよね。例外がいるって言っているだけでしょ。
ここで問いたいのは「自分の人生」とは何かということ。自由に働き、自由に収入を得たい?どうぞどうぞ。僕は好きな事をやるために安定した収入がほしいし、仕事そのものもフリーではできないような仕事をしたいんですよ。自分の人生?一人ではできないよな大きな仕事を成し遂げたい、ということが自分の人生に向き合っていないと?余暇で思いっきり自分の時間を満喫したい、というのが人生の目的としては不十分だと?

とまあ、彼の文章にはこういうセクションが多いわけです。それライフスタイルとしてスコープ狭いよ、ということを平気でライフスタイル全体のこととして語って嫌悪感を示す。理由が理由として成立していないのです。

たとえばこんなデータ。育休を取得したいと考える男性は3割を超えているのに、なんと取得率は2%台です。しかも取得期間も悲惨で、平静22年度のデータでは男性の育休取得者の8割が「1ヶ月未満」です。

イケダハヤトが嫌う「サラリーマン的」なるもの : まだ東京で消耗してるの?

というデータも目的がかなり絞られているわけです。もちろん論点としては重要なんだけど、「サラリーマン的」にとって不可欠な要素ではないわけで。

ぼくは育休を十分に取りたいので、会社を辞めてフリーランスになりました。それは、自分の人生だからです。月給は失いましたが、自分の希望は叶えられました。

イケダハヤトが嫌う「サラリーマン的」なるもの : まだ東京で消耗してるの?

それは別に構わないのです。「フリーランスだから」育休が十分に取れるという誤解さえ生まなければ。これは選択の問題ではなく、適用可能性の問題なんですよ。育休が十分取れる代わりに餓死したらしょうがないでしょ。もっというと、単に育休が十分に取れるのが目的なら、そういう会社に入れば良いんです。あんまりない?知らんよそんなの。だって「淡々と仕事をこなしていれば、それなりの月給が入ってくる」会社が前提なんでしょ。収入にこだわらなければ楽な仕事ってたくさんありますよ。仕事より育休が大事な人には本当はそういうライフスタイルがお似合いなんじゃないか。
そうじゃないよね。たまたま、フリーランスでもなんとかなる選択肢があったから(それがどういう前提のもとだったかはしらんけど)、フリーランスになったんでしょ。これはパンが無ければお菓子を食べればいいじゃない的な言説でしかないんです。

マッチョな価値観ですが、「サラリーマン的」な人を見ていると、もっと自分の人生を生きればいいのに、と思ってしまいます。我慢しつづけるのは体に良くないですし、そういう我慢は、ネチネチとした攻撃性(居酒屋の愚痴とか)につながるものです。

イケダハヤトが嫌う「サラリーマン的」なるもの : まだ東京で消耗してるの?

イケダハヤト氏もフリーランスになったわりにはネチネチとした攻撃性のかなり高いブロガーと思われますが、そのへんいかがでしょう。

さて、話はちょっと変わります。

もう一点、「サラリーマン的」な人は、問題意識が欠如しています。

イケダハヤトが嫌う「サラリーマン的」なるもの : まだ東京で消耗してるの?

えええええ?欠如?なぜですか?

世の中に対する「これはおかしい!」という強烈な義憤、自分の行動をかき立てるような想いを、サラリーマン的なる人たちは失ってしまっています。

イケダハヤトが嫌う「サラリーマン的」なるもの : まだ東京で消耗してるの?

そうですか?僕はイケダハヤト氏が「これはおかしい!」ということがおかしいことについて「これはおかしい!」と強烈な義憤を感じてこうやってツッコミを行なっています…というのは冗談としても、正直「プロブロガー」としてなんだかおかしいことを書き連ねることについていろんな人が義憤を感じていることを感じてしまいます。

わかりやすいところでいえば、日本の一部の家電製品などは、まさに問題意識の欠如の集大成といえるでしょう。スペックを向上させること、機能を増やすことが目的になってしまい、根本的に重要なはずの「世の中のどんな問題を解決するのか」が見失われている状態です。

イケダハヤトが嫌う「サラリーマン的」なるもの : まだ東京で消耗してるの?

ごめんね、僕家電に「世の中のどんな問題を解決するのか」ということが根本的に重要だとは思えないの。せいぜい省電力?こういう例がいちいち意味不明なのも読んでて理不尽を感じるところですよね。

最後に、サラリーマン的なる人々は、お金に縛られています。お金がないと生きていけないと思っており、得てしてローンという名の借金も抱えています。

イケダハヤトが嫌う「サラリーマン的」なるもの : まだ東京で消耗してるの?

これも主客転倒的な話ですよね。人間が今の社会で生きていくためにはお金が必要不可欠です。それを効率よく得る手段としてサラリーマンという選択肢があるというだけです。

いわく、「家のローンがあるから…」「子どもの教育費が…」。ぼくはこういう態度に辟易します。お金は大切ですが、自分の人生を生きない理由にはなりませんし、社会的にも、そうなってはいけないとも思います。

イケダハヤトが嫌う「サラリーマン的」なるもの : まだ東京で消耗してるの?

ということを言うのはいいんですが、ではそれをどう解決するのか。150万でも生きていける?まあ独身ならそれでもいいんですけど、例えば「子供に十分な教育を受けされられなくてもそれが自分の人生を生きた結果だからいいんです!」って言うんですかね?え?それは公共の福祉でなんとか?お前それならサラリーマン様に毎日土下座して感謝しやがれよと。搾取かよと。違ったらごめん。子供は大事にね。

ところが。

裏を返せば、会社員であっても、

・自分の人生を本気で生きようと考え、選択の結果、会社員を続けている人
・問題意識があり、問題を解決するために会社員を続けている人
・お金に縛られすぎていない人(お金の問題が行動をためらう理由になっていない人)

なんて方々は、嫌うどころか崇拝したくなります。

イケダハヤトが嫌う「サラリーマン的」なるもの : まだ東京で消耗してるの?

あれ、おかしいな。僕がそうではないと言っていることがほとんど書かれているじゃない。やっぱり結構な数のサラリーマンをイケダハヤト氏は崇拝しなければならなさそうです。一体何だったんですかねこのエントリは。

結局のところ、イケダハヤト氏が自分のライフスタイルを語るにおいてその架空の「サラリーマン的」なるものを引き合いに出す必要って実は一切ないはずなんですよ。もしかしたら、サラリーマン時代に接した人を間接的に中傷しているのかもしれないくらいの話です。ここでイケダハヤト氏が述べている崇拝しなければならないはずの一般サラリーマン諸氏にとっては迷惑な話であり、そういう理不尽な話を元に大きくくくられて否定しないといいつつ否定するようなことを書かれるとそりゃあみんなイライラするわなということで、今後も義憤をもって「これはおかしい!」という声を上げていきたいですね。