「東京でオリンピック」が盛り上がらないのはなぜか

都知事が無能だからとかそういうのをさておいて、東京でオリンピックを!という呼びかけそのものが盛り上がらないのが現状です。オリンピックって究極の箱もの行政みたいなものですし、終わった後使わなくなった施設が維持できないという問題(長野)なんてこともありますが、支出に見合う経済効果があれば十分やる価値はありますよね。
じゃあなんであんまり盛り上がらないのか。一つには日本人が単純に日本人であることに一体感を感じなくなっているというここ最近の空気に理由があるのではないかと思わなくもない。その理由の一つは東京オリンピック推進派であった先の都知事による排外的な言動にあると思う。ネトウヨだネトサヨだという対立で日本人的アイデンティティがどこにあるのかを見失いつつあるのでは、ということも感じる。単純に「日本人頑張れ!」の文脈でいいところにそれ以外の文脈が入り込んできて水を差す。スポーツの祭典に対して冷めているところもあるだろう。同調圧力の排除という空気で娯楽は際限なく細分化されていくし、それで良くなっている。どこかには同好の士がいることがインターネットで明らかになって以降、そういう傾向があるように思える(その一方で、facebookのいい話いいね問題のように瞬間的な共感が安っぽくなっている)。

なんかこう、「飽きて」いるんじゃないかという世の中の雰囲気を感じなくもない。そりゃあテレビ番組も無理やり盛り上げようとするよね。もっとも、そういう作られた盛り上がりっぽさが余計に飽きを呼ぶのだろうけれども。

実際には、オリンピックをやることになったら結構な盛り上がりが発生するだろうとは思う。経済的な効果よりも、今の日本の停滞感を払しょくするためにはそういうイベントが必要なんじゃないかとも思う。とはいえ、ちょっと先すぎるけど…
でもね、やっぱり冷めた目で見てしまうんだよなあ。国民が(特に都民が)「ぜひやりたい!」って気持ちにならないと、都知事がどんなになにを言っても無駄だと思うんだよね。そういう部分を無視して空気の読めない発言をした挙句、敵がわかっただなんだとか言っている都知事に付いて行って気持ちを盛り上げられるようなことってあるんだろうか。ないよね。

ナショナリズムの高揚、というとあんまり良いイメージないかもしれないけど、「俺達はスゴイ!」を遠慮無く言える場をもっともっと作って前向きな社会でありたいよね。別に、自分たちを誇るのにあえて敵を作って排除する必要なんてないんだから。