自分が知っている「真実」と矛盾した時、人は騙されていたことに気づく

いやー良かったよかった。一人の人が放射脳の罠から救われた。
『一箱全て派手な奇形のナス!?』 『それ、天狗なすだろ。』 『知らないって恐いねw美味しいのに。』 - Togetter

実に典型的な話だけど、このように自分が把握している「真実」あるいは「事実」に対して頓珍漢、デタラメなことを言っていることが露呈することによって、洗脳が溶けることがある。めでたい。

ただ、今回はたまたま「天狗ナス」の存在を知っていたことでこの罠を回避することができた→結果としてアレな方の評価をデタラメを言う人とすることができた、という幸運な事例であって、依然としてこのような情報にさらされた時、自分がそれを知らない→他人が「奇形じゃない」っていうのは信用出来ないってなってしまう人はたくさんいるんだろうな。

人間が理性的に判断をするためには、未知のものに対しての汎用的な評価方法を身に着けている必要があるけれども、普段知っている事実を般化して知見に高めるってのはなかなかハードルが高い。四つ葉のクローバーを探して喜んでいた子供のころの記憶が自然では特に放射能という原因でもなくたまに奇形が発生する、ということに繋がるか。
ひと通り学問をするというのは完璧ではないけれどある程度の合理性をもった判断能力を身につける、という意味で重要である。物理とか化学がなんの役に立つのって思ってまじめに勉強しなかった人は今頃放射線やら放射能やらの話に出てくる単位が理解できず頓珍漢な解釈をして心配で夜も眠れないという被害を受けてしまうというわけだ。いや、自分で全部理解しろとは言わないけれども、誰かの解説を見てデタラメを言っている人を見限るくらいの判断能力は身に付けることは可能だと思うわけで。

「たまたま知っていた」というのは幸運なことだと思うけれども、たとえそうでなくてもある程度の結論を導くことは可能なんだよね。誰かの言ったことを鵜呑みにしないで考えてみる。そのことだけでも致命的な罠に引っかからないでいられるのではないかと思う。