長時間労働すると仕事は身につくのか

というタイトルで書くと的外れな批判になるのですがあえて脱社畜ブログが書きそうな感じのタイトルであえて。

勉強でもスポーツでも音楽でもそれを長い時間やらないと身に付かないだろ?
仕事も同じで長い時間働かないと仕事はできるようにならない

長時間労働しないと仕事はできるようにならない

ここで大事なのは必要条件か十分条件かですよね。十分条件というのを「長時間労働しさえすれば」仕事は身につく、としたら必要条件ってのは「長時間労働しないと絶対に」仕事は身につかない、という意味としますね。
もう一個大事なのは「長時間労働」というのは「累積時間」なのか「労働時間割合」なのかですよね。
で、最初の例えがもう如実にこのロジックが何なのかを表現しているんですけど、じゃあ、音楽を例にとって言うと、某プロ奏者は楽器を初めて2ヶ月でプロになったという逸話が有ります、なんて話はそこらに転がっていて、一般人の長時間やって身につけた人と才能がたまたまあった人の差ってのは時間だけじゃ埋まらなかったりしますよね。その一方で、こつこつと何年も続けてきた人が一定の実力を身につけているということも事実だったりします。

つまりですね、この「身につく」ってのはゴールをちゃんと設定してから話さないと意味ないのですね。

じゃあ仕事の話に戻ると。

僕が今やっている仕事は長い間の経験によって積み上げてきた知見を活かすものになっているのは確かなんだけど、これって長時間労働という名の何かで得てきたという気分は全くないですね。大体、自分の今までやってきたものと違った新しい技術ややり方を適用しているプロジェクトを経験して身につくものって、設計フェーズでせいぜい3割、開発フェーズだと働いてる時間の1割もない感じ。だってそれ以外の時間って設計書書いてレビューしてコード書いてテストしてテスト結果検証してという、目的のための作業にすぎないから。そりゃあ例えばひたすら釘を打っているような作業でもだんだんうまくなったり効率化する打ち方を見つけたりはするけど、そういうのって仕事を身につけるってのの一部でしかないし、他人で代替可能な部分(マックジョブに熟練するみたいなね)でしかないよね。

いい年してコンビニで働く、というのが必ずしも悪いことではないと思うんだけど、それを本人が望まないのにそうなっちゃっているとしたら、それはまさに長時間労働でしか達成できない類のつぶしの利かないルーチンワークの熟練しか身につかなかったからかもしれないよ。最初で言った十分条件的なので身につくもの。

長時間労働でしか身につかない仕事ってのは確かにあると思うんだけど、それは殆どの場合本人の売り物になるスキルとは別の所のものであって、死ぬほど残業した結果身につけて会社ありがとう!っていうようなものじゃないんだよね。累積時間だけでもクリアできるようなものだし。そういう意味で労働時間割合が高いことを必要条件とする仕事なんてのはないんじゃないかなー。