どのように攻撃すべきであるのか

罪を憎んで人を憎まずとはよく言ったもので、何がしかの暴力に対して別の暴力で立ち向かうことは根本的な解決をもたらさないことのほうが多い。
差別の問題にせよ、捏造の問題にせよ、その発せられる人間のエゴは確かにその当事者に属しているものではあるけれども、それ自体は変えることの出来ない属性ではありえない(という立場に立たなければそもそも「市民、不正をしましたね。ZAP!ZAP!ZAP!」で良いわけである)。

悪意に対してその源そのものを憎悪し、消滅せしむるという意識は果たして排除の論理に属さないのであろうか。僕はそうではないと思う。

とは言え、人生というものは他者との差異を感じながら過ごしていくものであり、好きとか嫌いとかそういった感情に根ざした思考は避けるべくもない。感情を律することが出来ないのもまた人間であり、理想郷は遥か遠く、目的のために手段を選ばなければ時としてそれはある種の虐殺を伴うこともあろう。手段は選ぶべきだ。