まあ怪しいベビーシッター雇ったら親は責められるよな
そもそもベビーシッター雇うのが人としておかしいみたいな斜め上を言っている与党関係者がいらっしゃるようですが、なんかこうそれなりの立場の人をカジュアルに軽蔑できる時代っていいなーって思う反面こんな話は昔だったら聞こえてこないんだろうなーと思うともにょもにょしますね。届かない声はないのと一緒で。
でまあ、ウェブ言論的な空間ってすごい社会正義について原則的な空間にもかかわらず何故か思想犯だけには排斥的だよね。本来の意味での思想犯というよりはそのカウンターパートに対して、だけどね。ともあれ、アホがアホなことをいう自由を確保している代わりにミクロで見ると他者を不幸にさせるであろう正論を唱える自由もあるんだよね。そこのところは蔑ろにしてはいけないのかもしれない。
全然話がそれているけど、「仕方がなかった」って難しいよね。選択肢ってのはたくさんある場合もあれば、たくさんあるように見えて実質制限されている場合もある。後者の場合、本人に責を負わせてもしょうがないというか、起こるべくして起きてしまっただけというかね。でも、前者か後者かわからない状況では、人間はできるだけ正しい行動をすることを期待されているわけでね。
子供の頃、怪我して帰ったら「なんで転ぶの!」みたいに怒られたことがない人は幸せである。
逆に言うと、周囲の叱責はその程度の動機でしか無いと思うんですよ。転んで怒られるのは次に起こることを避けるための躾みたいなものだろうけど、子供を殺されてしまうというのは事が大きすぎて本当なら比較の対象にもならない。でも人間なんてそんなものです。
さて、本当の外野としては、そういうレベルで物事を考えても時間の無駄で、こういうことが起きる環境をどうやったら変えていけるかということを考えていかなければならないよね。ただ、話は複合的すぎるから答えというのは出るものではないけれども。そして、現実的にそういった環境に置かれている人がいたら、その人達には現実的できるレベルで何が必要なのか、くらいまでは考えてもいいのかもしれない。現実の改善を優先すると根本的な解決がお留守になることもよくあるんだけど、今を生きる人間として同じ今を生きる人間を無碍に犠牲にしていいものでもないしね。