はてブの価値とは

ブログの位置にもよるのかもしれないけれども、うちはまだまだはてブがあるとないとでは集客力は大きく差がありますね。
500〜2000/日くらいのアクセス数だとはてブの効果というのは大きい。
今年に入ってから一番アクセスがあったのは、スラドに載ったとき。しかも参照記事的に。次はBuzzurl経由2ch及び痛いニュース。それ以外はニュースサイト好みの記事を書かないからか、はてブが集客の中心です。そして、3users⇒5users⇒10usersで明らかに違う感じです。そっから先は頭打ちで、どっちかというとはてブのコメントの雰囲気に依存している気がします(これは単なる憶測)。つまり、若干疑問気味のコメントがついたほうが面白そうと思われる傾向。
というのが

あくまでもSMOとして見た時の「価値」の話なんですが、

F's Garage @fshin2000 :1はてブあたりの価値が下がっている。

に対するうちの状況紹介ですね。
さて、絶対数は気にならないモノの、そういうわけで、ある程度の数を集めるかどうかは気になっていたりします。何事かを伝えたくて記事を書くのであれば、大事なのはリーチですよね。最低限のリーチをもたらしてくれるのがはてブ。一度捕まえたらRSSとかアンテナで拾われることもあるのですが、特に僕みたいに雑多に書く場合ははてブはかなりのリーチに繋がるものになりますね。
ただ、それ以上にコメントの内容は重要です。結局のところ、僕が何を目的に書いているかというと、自分の考えていることと人の考えていることがどう違って、あるいはどう同じかを知りたいというところや、僕の知らなかったところに到達させてもらえるというところなのですから、コメント率高いエントリには価値があると思っています。まあ、相対的にね。
利用者側からすると、favだけ追っていても良いんだけど、傾向がマンネリ化してくるし、ぶれもある。そういったときにホッテントリから新しい何かを見つけ出す、となるとこれもリーチな訳ですね。ただその時に数が多いから、という理由ではみないなあ。数が多いって言うのはそれだけブクマした人がfavに入っている可能性が高いから、いろんな人に届きやすいってのはあるけど、逆に自分ももうfav経由で見ている可能性が高いし。長い間表示されるという意味での数の多さは重要かも知れません。毎日ホッテントリに載っていればねえ。
そんなわけで、SMOとしてもまだまだ十分価値があるんじゃないかなって思います。

ゲーム脳的短絡による規制要求

正直、準児童ポルノ法だかなんだかができてもかまわない(昔の漫画雑誌をとっといたので捕まったらかなわんけど)が、こういった短絡的に、因果関係を主張するような発想は科学リテラシー的ながっかり感がおおいにあるよね。
いわゆる児童ポルノ法が様々な問題を抱えながらも肯定的に考えるべきなのは、その向こうに明らかに性的虐待*1受けている児童がいるからだ。そういった意味では、十分な効果があるだろう。もっとも、地下化するという問題はある。これも相対的な解決策に過ぎない。
一方で、きっとそうに違いないという理由で規制することは、その抑止効果より自分が理解できないことは非常識だし必要ないという発想が主となっていて、当然線引きもできないから、過剰な規制を求めていることに気づかない。嫌悪の感情以外の論理的な説明は往々にして破綻している。あるいは根拠が薄弱だ。
とはいえ、こういう性的嗜好を持つ人の発散の対象になっている、という擁護も同様に肯定はしづらい。自分はそうだ、という人がいたとしてもサンプル数は1だ。こう言った問題で他者の内心を確かめるのは困難である。
この手の問題に危惧があるとすれば、この先のコミュニケーションの形態が実の肉体を伴わない方向に進化していくときに、精神世界の問題として取り沙汰されてくるのではと言うこと。そういった意味では肉体的発散を伴う直接的描写より、精神深くにあこがれ的に植え付けられる文学的な表現こそ規制されるべきなのではないか。
という最後の結論くらいバカバカしい話ですね、ということですね。

*1:この言葉自体は社会的なものにすぎない。昔の日本では14歳は立派な性の対象だった、とか、あの国ではどうとか。しかし、現代のライフサイクルの中で妥当な年齢というのはあってよい。

フィクションと児童ポルノ

僕はそういう属性はありませんから、別に規制されても困ることは何もないけれども、古来から少年少女とのあるいは少年少女同士の性愛というのは一つの文学的テーマではあります。そこにはプラトニックなものもあるし、時代背景的におかしくもなんともない普通のこととして書かれているものもあるし、それこそ陵辱的なものもあるでしょう。一つ何かで括れるようなものではないことは確かです。

アニメや漫画、ゲームなどで児童を性的に描いたものも「準児童ポルノ」として違法化するよう政府・国会に求めていく。

アニメ・漫画・ゲームも「準児童ポルノ」として違法化訴えるキャンペーン MSとヤフーが賛同 - ITmedia NEWS

文学であれば許されて、アニメ漫画ゲームは許されない、ってのはちょっとおかしいかもしれない。多分基準は単純で、絵があるかどうかなんだろうね。つまり、この主張をしている人たちは、映像というものが欲情を耐え切れないほどに喚起する、と思っているわけだ。どうだろうか。確かにそういった直接的な描写は性的な興奮を引き起こすかも知れない。なんとなく、文学が戦わずして敗北させられた気になってくる。文学の力を信じている作家は源氏物語も一部発禁にすべきと運動してみてはどうか。
この齟齬がどこから起きるかはなんとなくわかっている。僕らは一番綺麗なところを大事にしようとしていて、彼らは一番汚いところを排除しようとしているのだろう。それは表裏一体のものではあるのだけれども、確かに表現としては度を越したものも存在するのだろう。それが世界にもたらすマイナスな影響についてはさっぱりわからないけれど。そして、その両極端は文学についても同じように存在するはずなのだが。
実際の児童によるポルノは、実害が児童に及んでいる、という意味では撲滅すべき正義はある。バーチャル児童ポルノに対する正義とは、一体何か。これは発想がゲーム脳と一緒だよね多分。曰く、ゲームの影響で暴力を。AVの影響でレイプ事件を。マンガやゲームの影響で幼女監禁を…。
正直なところ、ちゃんとしたポルノとしての基準があるのであれば規制して構わないんじゃないかとは思うんだよね。専ら児童を性的に陵辱することが目的なコンテンツの存在意義があるかというとね…。でも、テーマに対する主従とか言い出したら線を引くのが難しいわけで、じゃあ一律描写禁止、となると、どこからかエスカレートしだしてマンガに未成年は登場しちゃいけませんとか(それは極端か)言い出しかねない。その辺までちゃんと考えてないんであれば、単にサブカル叩いて「正義の使者ごっこ」をしているだけに過ぎないよね。
主旨は間違ってないと思うから、ちゃんと人間の尊厳を掛けて、表現の自由との全面戦争をしなさいよと。叩きやすいところだけ叩いて社会の保護者気取りってのはなんか間違っているように思えます。