電子記録の改ざんと証拠能力

電子記録の保全は主に消失、毀損、改竄の防止をいかに施すかであって、その対策がなされてないのであれば証拠能力には乏しい。
公的な、何かをしたことの証明は電子署名と公的タイムスタンプサービスあたりで担保するとして、こっそりやろうとした証拠を保全するのは難しい。こんな事件があるとなおさらね。
セキュリティーが厳しすぎてしんどい、という職場のメリットは、何か事件が起きたときに悪いことをしていないことが証明しやすいことかもしれないな。

「鵜呑みにしてはいけない」の欺瞞

だいたい、トンデモやニセ科学界隈で「鵜呑みにしてはいけない」と発せられるときは、既存の常識を否定し、デタラメな情報を「鵜呑みに」させようとするときに使われることが多い。
なぜだか、既存の正しいとされることは「鵜呑みにしてはいけない」という口が信用足らない情報を鵜呑みにすることを推奨するのだ。受け取る側は、知っていることを否定されたことで真実の目が開かれたような気分になってしまい、新しい(実際にはデタラメな)情報を受け取ることが、既存の情報を鵜呑みにしていない、という「事実」を補強する。のだけど、実際に必要なのは、判断に足る情報を集めて自分で考える、というプロセスが完全に省略されていて、鵜呑みにしているわけだ。つまり、「鵜呑みにしていない自分」を発見するために、その理由として新しい情報を真実として受け入れる、というずるをしている。
とまあ、そんな風に誘導されると騙されたのを認めたくない心理からも、強く真実だと思い込むことになってしまいかねない。かくして陰謀論者は生まれ、真実を疑うことを強く主張しながらも、明らかに疑わしいことを真実だと主張するようになってしまうのだ。

ほんと、「鵜呑みにしてはいけない」よ。

特捜部の危機?バカヤロー、危機なのは日本の司法だ

この期に及んで自分の組織の心配ですか。

最高検幹部は「事実とすれば、我々の組織にとって最悪の事態」と顔をこわばらせた。前田恒彦検事(43)が以前在籍した東京地検幹部は、「特捜部の危機だ。証明すべきことを証明できなくするなんて、検事としてあってはならない行為。捜査にかかわった全員が辞表を出すぐらいじゃないと、検察は持たないのではないか」と危惧(きぐ)した。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100921-OYT1T00774.htm

根本的な部分で間違っているように思える。辞表を出せば検察が持つかもしれない、というのは責任を個人や部隊に限定しようとするきわめて日本的な組織の考え方だけど、今回問われているのは、改ざんをしたこと、した人の責任ではなく、「シナリオどおり」に進めるためには改ざんを辞さないという検察の体質そのものであると考えたほうがよい。もうね、一般企業だったらその活動を担保するための財務がぼろぼろになって会社更生法が適用されて組織改革案が認められて初めて存続するくらいの勢いですよ。
例えばだけど、銀行のシステムで障害が起きて、ちょっとでも顧客に影響がある(と言ってもちょっとATMが使えなくなるくらい)と、金融庁が乗り込んできて、開発の手続きに遺漏が無かったかとかを執拗なまでに立ち入り検査していくわけです。そういう現実に大して、システム開発では本当に無駄なコストをたくさんかけている(それは障害で発生する損害よりもはるかに高いコスト)。昔はそうではなかった。それでも、現代社会の発展とともに信用を担保するために必要だ、透明化だというわけだ。システム改ざんして利子の端数を掠め取ることなんてさせてはならないとかね。
この手の社会的信用の構築のための仕組みがお役所以外には適用され、お役所には適用されないということはもうそろそろ耐えられない時期に来ている。取調べの可視化もそうだし、予算などなどの透明化もそうだし、とにかく、必要なのは信用性を客観的に評価するための仕組みづくりであり、今回の件はいいきっかけにしなければ報われない。

という状況なのになんだこのコメントは。そんな現場目線のコメントを地検の幹部辺りがするようでは、まだまだ「俺たちのやり方は間違ってない。現場のミス」とか思ってそうだ。怖い。そんな具合だから

「遊んでいるうちに書き換えてしまった」という検事の弁解

http://www.asahi.com/national/update/0920/OSK201009200138.html

などという、その場しのぎ(なんなら俺が辞表出せばいいや的)な弁解が世間に通用するなんて思ってしまうのではないか。

これまでこうやって上手く行ってきた、というのが通用するのであれば、いろんな業界に対する規制とかも本当はいらないんだよ。だって、どんな業界だってこういうレベルの失敗をして、社会問題になってきたからこそ、規制が入ったり、基準が設けられたりしたわけで。社会の仕組みの進歩からあえて取り残された振りをするのは、ある種の既得権益を失わせないためであるとしか思えない時期にさしかかってきている。もはや、検察といえども聖域ではなく、むしろ今までの失敗事例が厳しく問われるべき。

自分たちの仕事に誇りをもっているなら、膿を出し切るのが責任の果たし方である。偉いさんの保身のためにクビを切られた、なんていう事態にならないかどうか、国民はじっと見つめているよ。