スルガ銀行 vs IBM 周囲の見方は

判決が出た後のITPro読者の1611の感想が掲載されていた。
スルガ銀-IBM判決、ITベンダーも4割は「妥当」 | 日経 xTECH(クロステック)

いくつか気になるコメントを上げたい。

・ITベンダーにとっては、プロジェクト失敗時の金銭リスクが飛躍的に高まる判決。このことは見積もり時の余裕率を多く見積もることになり、結果的にユーザー企業から見たシステム調達費用の上昇につながる。

相手がいる仕事の失敗というのは簡単に片方が一方的にリスクを負うべきとも思わない。だから、こういう見方もあるとは思うんだけど、結果としてより多くリスクを負うのは請負契約をしたベンダーであることはまあ間違いないよね…
その結果として、余裕率を多く見積もることになる、というのはちょっと甘えなんじゃないかと思う。一応競争の世界なんだから、それを自分たちのリスクとして提示できるベンダーが仕事をできるってことになるんだよね。もっとも、大企業のリスク管理としての基準が高くなる可能性はあるし、そうすると結果としてこのレベルの仕事を請け負える企業は一律乗っけてくる可能性はあるけど。

個別契約でリスク回避を図っても全体として一括だとみなされてしまうと、プライム契約のリスクは取りづらくなる。今後は、訴訟リスクが取れる余力のある巨大企業しかプライム契約は取れないだろう。

全体として一括としてみなされるかどうかは個々のフェーズのプロセスや途中の成果物、次のフェーズへ進む際の基準等が予めはっきりしているかどうかにもかかっていると思う。個別契約がリスク回避にならなかったのは今回に関しては進め方の問題だろう。

一方ユーザー側も結構噴いてる

ベンダーは、全体の完遂を見込んでシステム開発に取り組むべき。個々の契約は単なる契約の区切りであり、システム全体として完遂できなければ意味がない。

こういうべき論にも意味がないと思うんだけどね。単なる契約の区切り、と言ってしまう時点で個々のフェーズが完遂しなくても先に進んでいいという意識を垣間見てしまう。そしてそれはとてもまずいことだと思う。
もちろん、全体の完遂を見込んで取り組むべきですよ。でも、それをきちんとするためにも単なる契約の区切りではなく、その区切りごとで見直すべきことは見直し、見積もり直したりあきらめ足りすべきだよね。

複数のベンダーが参加するなどの要因が無ければ、多段階契約にするべきではない。ユーザー企業はITベンダーの要求に屈せず、責任が明確化される契約形態を選ぶべきだ。

そりゃあんたらが最初の要求を明確化できればだけどね。それがないからうまくいかない部分もあるんだよね。多段階契約にされる、というのはこのプロジェクトにはリスクがある、とベンダーが感じているということでもある。そのリスクの原因はなんなのかをきちんと理解していないと結果としてうまくいかないことには変わらないよね。

ベンダーにも、ユーザーにも言い分はあると思う。でも大事なのは、どうすればプロジェクトがうまくいくかを考えることであって、契約の形態がどうあるべきかは副次的な問題に過ぎないはずなんだけどなあ。

リスク管理と同調圧力

政治家は人より賢くなければならないという法律はないけれども、一般的にはそれを期待されているだろう。
とはいっても、一般的に賢い人とは「自分でものを考えられる人」と見做されることがあり、また、「社会の問題を追求する」ことがその証明とされることがあったりもする。消費者問題なんてまさにそのたぐいのものだと思う。正しいものもあれば正しくないものもあるけど。
社民党なんて元々そういうあたりが得意だった気がするんだけど、もうぐだぐだよね。

社民党が、反ワクチンの医師を招いて講演会を行い、さらにその主張に沿った記事を機関誌に大きく掲載したと。

社民党機関誌「社会新報」に大きく見開きで「予防接種 本当に必要?」の記事 - Togetter

貼られた新聞の見出しに「ワクチンビジネスの支配」なんてのがあって笑うしかなかったんだけど…

原発問題で身にしみたこと。結構な人が「リスク」というのは避け得ないものであり、適切に管理すべきものだ、ということをわかっていない。リスクは徹底的に避ける、というのが正しい方法論と思っている。避ける=目をそらす、である現実に気づいていない。それは予防接種忌避の話が広まっていた時から結構感じていたことで、原発問題で決定的になった。
極度の心配性であるうちの妹ですら、放射能のリスクについてほとんど心配していない(地震は超怖がっていた)あたりからして未知なるものへの恐怖なんだなあと思うばかりであるけれども、とにかくにも、生活リスクが相対的に小さくなっている現在、予防接種や放射能のリスクが過剰に捉えられてしまうのは社会心理的にしかたがないものなのだろうけれども、「日本的なるもの」として、しなければならないことを「同調圧力」呼ばわりしてきたつけなのかもしれないと思ったりはする。政府やコミュニティーに唯々諾々と従うことカコワルイみたいな。自分で考え、自分できめるのが現代人みたいな。

そもそも、社会というのは何らかの形で同調を強いる集団であって、それが特別日本的なるものではない。外国の場合、宗教で隠蔽されていて目立たないだけ。大体、日曜日は礼拝に行かないと、なんて日本だったら同調圧力と非難されるかもしれない。アメリカの選挙を見ていたってそう思う。

予防接種だって、社会全体のリスクを減らすために個々にリスクを取らせるというものだよね。そこにあるのは相対的なリスクで、大抵の人は恩恵に服し、ごく僅かな運の悪い人が犠牲になる(こともある)。それがうまくいっていることによって社会全体のリスクの絶対的な数値が下がって個々のリスクが相対的に大きくなっているように見える。そうすると、このような「予防接種は悪」的な話をする人が出てくるよね。

ワクチンの安全性とか、そういった部分については問題が全くないとはいえない。だから、そのような点について改善していなかければね、という前向きの発想であれば誰も文句は言わないと思うんだ。でも、せっかく発達してきた公衆衛生の概念を根本から覆すようなやり方は間違っていると思う。結局のところ、リスク管理の問題にしか帰結しないんだから、個々人にクローズアップしすぎて社会全体を見ないようなものは議論に値しないと思ってる。

これって、ITの仕事でも同じで、「そのリスクは誰が取るんだ」といって過剰にリスクを取らないやり方をした結果、出来上がったシステムは使いものにならないという結果に終わったりするんだけど、それって会社の経営という一番本丸の部分にリスクが発生しちゃってたりするんだよね。

なぞの「ゴースト暗算」

最初に登場したのって結構前だった気がする(今調べたら2011年6月に出版されてた)けど、急に話題になっているのはステマ?かなんかなのかなあ?
プレジデントもすげー記事書くわ。

つまり、このメソッドを習得した子は、1×1から99×99までの暗算をマスターしたことになる。これはやはり、世界的な発明ではないか。

東大医学部生が考案した「ゴースト暗算」が話題沸騰! | プレジデントオンライン

でも、やっていることはこうだ。
岩波メソッド ゴースト暗算 先行無料公開!
47×6の場合、
1. 4×6を計算→24+
2. 7×6を計算→24+[4][2]
3. 24+4と2をつなげて282
これって筆算を横にしているだけだよね…なんでこれが流行るのか…

ふと思った。もしかして、筆算をしている人は暗算ができないと諦めてしまっているのではないだろうか。だとしたら、暗算って意外と簡単なんだよ、ということを教えてあげるという点ではわかりやすいのかもしれない。僕自身、暗算するときって頭の中で筆算している=こうやっているわけだ。
なので、換言すれば、これはやり方がわからない人に対してやり方をどのように教えるかの問題であって、教育論、認識論の類のものだろう。無論、発明でも何でもない。説明の仕方だけの問題だから。だからプレジデントはバカなんだけど、岩波メソッドメソッドなのは計算方法じゃなかったってことだね)自体が荒唐無稽ではない、と考えることができるかもしれない。そのあたりはもしかしたら本を読めばわかったりするかもしれないけど別にいらん。
最近はそろばんをやる子も少なくなってしまっているだろうけど、実際のところそろばんをやっていればこんなのは要らない。

ただ、こういうのを見るとどうかと思う。

「通常のひっ算では基本的に左脳しか働かないのですが、ゴースト暗算をしているときは右脳も左脳も同時に働いているというデータが得られました」

東大医学部生が考案した「ゴースト暗算」が話題沸騰! | プレジデントオンライン

つまり、左脳だけで済む計算を右脳も働かす(実際働いているか疑問)というのは効率が悪いやり方だということかもしれない、という発想はなさそうだ。それ以前に、右脳左脳って話自体いまやほぼトンデモの域に達しているトピックではあるが…(差がないわけではもちろんない)

まあね、方法論を感覚的に捉えるというやり方自体は悪くないと思うんだよね。一回わかっちゃえば、馬鹿馬鹿しいたぐいのものでも、わかるまでは未知の世界なわけで、そこに一歩踏み出すための方法としてなしとは思わない。でもさ、なんかへんな売り方だよね。

あとさ、2ケタ同士の掛け算ができたところで、世界的な人材になれるわけじゃないよね。思考のトレーニングにはいいかもしれない。まあナンバープレートの数字4つを使って10にするゲームでもやっていたほうが良い気がするけど。別にインドは掛け算得意だからITが栄えたわけじゃないからねえ。