社会的規範と法の運用の乖離

「これは殺人事件です」、ワタミ26歳過労自死で両親が申入れ

僕が子供の頃、とても印象深い事件が起こった。
豊田商事会長刺殺事件 - Wikipedia
まあ、この事件自体はカタギの仕業ではないのではあるけれども。

いわゆる悪人に対して、その被害者が犯罪であることを承知で復讐を果たす、というのは社会の規範上許されない。しかし、時に喝采を浴びることもある。ただ、年々そういうことを行うことに対する良識の圧力は強くなっている。曰く「復讐は何も生み出さない」。うーん、復讐ならそうかもしれない。でも、のうのうと生き延びている悪を成敗すると考えるとどうだろう。

とまあ、そんなことを言うのも良識的ではないよね。わかっている。だから、法律があり、司法があるわけだ。おかしなことがあれば正されなければならない。

でも、このワタミの話なんてのはどうにもならない。労基署が一斉に実態調査に入ったなんていう話も聞かない。安く利用できる利益を享受している利用者も何も言わない。いや、おかしいよってみんな言っているんだけど、そこにワタミがあった時にだから止めようぜ、とはなかなかならない。

すごくやるせない。何しろ、結局のところ僕だってワタミを使ってしまうわけだから。

じゃあどうすればよいのだろう。労働というのは実に難しい。厳密に法律を適用すると潰れる会社なんてたくさんあるだろう。それはそれで健全なのかもしれないけれども、現実には難しい。
でも、それはみんながそう思っているから起きている問題で、実際にはみんながきちんと法律を守れば、結果としてそれは価格に転嫁されるし、適切に利益が上がるし、適切に給料が出るのかもしれない。デフレの一因は金融緩和によって出回る資金が雇用につながらないからかもしれない。

正直者がバカを見るってのは昔からの日本の伝統ではある。でも、現代の社会的規範は正直であることを求めているわけだから、正直者がバカをみない社会にならなけらばならない。そのためには法律はきちんと運用されるべき。こと、労働の分野においては、経済の事情によりそれが蔑ろになっているように思える。そうでないと、いずれ私刑がくだされるような結果に至るんじゃないかと思う。

決定的「原因」を決めなければならないのか

ここ最近の界隈を眺めていて一番個人的にもやもやすること。
日中摩擦(尖閣問題、反日暴動)の原因は何か

  • 尖閣上陸だ!国有化だ!
  • いや中国側の主張だ!
  • ネトウヨが反中国を煽るからだ!
  • 経済が悪いんだよ。不況が全ての原因だ!
  • 中国の政治情勢が不安定なんだよ!党大会!
  • 歴史修正主義者を野放しにしたからだ!
  • 都知事の言動が!
  • 首相の態度が!

えっと、どれか一つが決定的要因である必要ってあるんでしょうか。特に引っかかったのは歴史修正主義者が〜ってやつ。
僕には彼らを擁護する気持ちはかけらもないし、遠因だということも間違い無いだろうけど、だからといって取り立ててそればかりが原因だとする必要はない。つけこまれる隙って意味では国益に反するものではある。
結局のところ、複数の要素がそれなりに重なった結果起きていることだろうし、何が原因かの正しさを競う議論は全く意味ないんじゃないかな。もちろん、分析することには意味がある。でも、決定することには意味が無い。

批判は受け入れなくなっていいんだよ

小池一夫「ネットの匿名掲示板等を作家は見ない方がいいとツィートしたら、批判も受けとめての創作ではないかと反論が来たのだが、僕はそう思わない」 - Togetter

いやもうまったくもって同感であります。僕は作家じゃないから偉そうなことは言えないけど…

ネットで何かを言うというのは批判を覚悟しろ、ということは僕も常々言っていることです。別にネットに限らず公共の場ではね。問題はネットは公共の場だと思っている人が少ないってことであって本質的にはどの公共の場も変わらないから。
ただ、その批判ってのは必ずしも見なきゃいけない受け入れなきゃいけないものではないわけです。
作家なんて編集とか賞の編集者とかに専門的見地からボロボロにけなされて育っていくものっていう印象はありますけどね。だから、有益な批判を受け入れることは大事です。でも、有象無象の批判を全て有益か無益か判断し、有益であっても自分のポリシーに合っているか否かを判断し、というのをやっていたら創作の時間なんてないよねw
匿名だから批判はイカンとかそういうことはないと思うんだよね。でも、匿名の批判に付き合う時間がなければ付き合わなくて良いと思う。匿名じゃなくても専門的見地を持たないものの批判はスルーしても良いと思う。もちろん、そこに有益なものは多分あるから、時間があれば相手にしてもいいと思う。罵詈雑言は批判ではないから見なければいいと思う。
つまり、スルー力(半ば死語)ですよ。

批判される覚悟があるのと批判を全部受け止めるってのはぜんぜん違う話。ぜんぜん違う。

装飾と誤読

カギ括弧の意味について:ekken
まあいまさら言うまでもないことではあるけれども。
誤読ってのはどうしたって起きます。理由はいろいろ。文章が難解、誤解を招く記載、受け手側がアホ、書き手側がアホ、etc...
カギカッコにしても、「ああこれは強調なんだなー」「これは皮肉だろうか」と読んでも間違えちゃうことはありますよね。
例えば「普通は」って書いてあった時に、ああこれは相手が普通じゃないって言っているんだろうと思うこともあれば、何かイレギュラーな事が起きたんだろうなって思うこともあります。個人的には、カギカッコによって「特別な意味」が付与されるってのは実はなくて、文章における特別な意味を持った(込めた)部分を強調する、というのに過ぎないんじゃないかとは思っていますけどね。文脈上の解釈を間違えないようにするためのツールでしかなく。
だから、カギカッコがついてなくても間違えずにいられるような文章が合ってはじめて「誤読だ」といえるだろうし、とはいえ、意図が伝わりにくい=誤読をされやすい文章の読解を助けるためにカギカッコはあるんだと思う。
叙述トリックのミステリーの騙そうとしている部分に全部カギカッコがついていたら台無しですよね。ええ。
なので、カギカッコがついていたら親切に意図を汲んであげるのが良いとは思うけど、元々の文章がおかしかった場合は通用しないんだけどね。