去年の総括と今年どう生きるか(その2)

長くなりそうなのでエントリ分割。タグごとのエントリ数とか、月ごとのエントリ数とか、月ごとのブクマ数とか簡単に集計できる手段は無いんでしょうか…
さて、去年は議論と著作権に明け暮れた日々with匿名論と言う感じですね。

関心ごとについて(1)匿名とウェブの自由について

当初無条件で許容されているべきだと思っていた匿名ですが、やはりその匿名を支える社会の存在を抜きにしては語れません。社会の崩壊=匿名の崩壊であり、政府権力という最悪の形で監視社会が成立するのも、逆に匿名の批判者による監視社会が成立するのも、同じようにいわゆる健全な匿名文化に対する脅威であると考えますし、それに対抗しうるのは一般の利用者の意識に掛かってきます。悪意の介在が増えれば増えるほど、大きな力が動くことになります。大きな力が動くと、それに対抗する勢力も大きな力を持たなければならず、あたかも核の脅威を体現しているような、そういった方向もちょっと見えてきました。小倉先生とは散々やりあいましたが、最初から見据えている先がそんなに違っているとは思わないんですよね。立場とアプローチは全然違いますし、おかしいと思うところもいっぱいあるけれども、自分の意見が大事なのではなく、良くしていこうという気持ちが大事だということを考えていきたい。
匿名掲示板の問題は、いわゆる実名顕名の問題とはまた別個のところにあります。トレーサビリティが十分か、という点については個人的には十分と言いたいのですが、情報開示へのハードルもありますし、なかなか難しいですね。ただ、非難されることについては結局のところバランスの問題と考えていて、僕らがどんなに擁護しても、悪>善になってしまえば社会からは排除されていく運命です。善>>>>越えられない壁>悪であるからこそ、擁護のし甲斐もあるのです。もっとも、悪をなしている人が自分は善だと勘違いしているケースもあるでしょうし、実際には善たるべきだけれども社会的に許されないから匿名掲示板でやっている、という側面も考えると、簡単に善悪で二分することも出来ません。このことが問題をややこしくしているのですね。自重することで自らのとりでを守って欲しい。アフィブログがどうとか、本来の目的から考えるとどうでもいいことなんじゃないかと思って欲しいし、羨ましいなら自分でやればいいんじゃないかなあと思うし。本当にやりたいことはなんですか。ただ人を追い詰めるのが楽しいという場を提供して欲しいというのであれば、それはそろそろ許されなくなると思います。

関心ごとについて(2)議論のやり方

年初のこのエントリ、議論がこじれた場合の心がけ - novtan別館 をきっかけとして、議論とは何か、というのを考えて行きました。年末に到るまで、いくつかのことを書いたのですが、その中にはモヒカン原理主義もあれば、相手の気持ちも考えよう、と言うものもあって、我ながら都合のいいもんだな、と思います。個人的には、原則を貫くことというのはとても大事で、しかし、相手をみてモノをいうのが生活者であるというところも大事にしています。なので、最初の基準は議論をするべきかどうか、という点にあって、その見極め方はもちろん全然理論化できないのだけれども、そこに全く無関心であることはできません。自分の基準を他人に当てはめないのも大事なことですね。
いざ議論をすることになったらこの辺 [思考停止キーワード]記事一覧 - novtan別館 も参考に。

関心ごとについて(3)無断リンク

これについては結論は何度も出て、何度も同じロジックを繰り返しているだけです。それでよいと思う。ここは原理主義者的価値観で問題ないと思っています。ただ、あくまでこれは世界の成り立ちの問題であって、ルールと言うのは時として変わりゆくものです。何か大きな力によって変わってしまったときにレジスタンス的な抵抗をしようとは思っていません。そのときは多分ウェブのあり方も大きく変わることになるのでしょう。

関心ごとについて(4)医療問題

タミフルの事件や医療崩壊について。特にお医者様のブログを拝見していると、諦めにもとれるような、そういうムードが漂っていることが多いです。
正直な話、医者が金儲けとかそういうのはどうでもよいのです。医者になるまでに投資する金も大変だし、仕事としては大変だと思うし、気持ちだけで病気が治るならそれでもよいのですが、そうでもないわけで。その原因を招いたのはほかならぬ医師だ、という議論は全ての議論に通じる「一部の悪い人間のせいで大半の善人が割を食う」という話に過ぎませんよね。それよりも、変な施設を作ったり、年金を着服したり、豪華公舎を作ったりする金を削らないで、我々が税金として払っているお金が還元されるところにお金が落ちていかないということがおかしいと思うのです。今健康な人が「病院行かないから関係ない」というのは頭が不健康だと思います。人々はどうしてこう直接的な自分の利益にならないことに無関心になったのか。それなら社会なんていらないのではないでしょうか。なんでもそうです。患者として必要以上のわがままを言わない、というのはお客様至上主義の表れなんでしょうか。サービスはサービス業という業種に伴うのではなく、サービス料に伴うものであり、それ以外のものも含めて、料金以上のものを期待するのはオプションである、ということは理解しておくべきだと思います。教育問題にも繋がる話ですな。
医療系ブログでは

を定期的に読ませていただいています。僕は一人の市民として、医師の方と世の中との認識のギャップを埋めていきたいと思っています。

関心ごとについて(5)ニセ科学

大抵のことは言い尽くしたので、今年は個別の事例への言及とかメタ批判とかそのへんがターゲットの気がします。
信じてもいいんじゃないのニセ科学 - novtan別館において、バックグラウンドについては考察しました。科学は理系のものではなく、じゃあ文系に何が欠けているか、というのは文系にとって科学の前に必要なこと - novtan別館に少しだけ。これは、理系文系ではなく社会科学を含めた学問の基本的な問題であると思うし、そこをサボることは日本の学生は特に多いのではないかと。
ニセ科学って言われるのが嫌ならトンデモ科学になればいいのに - novtan別館どうにもニセ科学批判批判みたいなのには納得できませんが - novtan別館 で示したように、科学である、ということを謳わなければマイナスイオンだってゲルマニウムだって効果があってもいいのです。実際に未知なる力がある可能性は否定できません。「科学的に立証された」という文言がプラシボ効果を呼ぶのであれば、それでもいいでしょうけれども、科学の側はたまりません。未知なるパワーとか言っていればいいのにね。つまり、人間って結構科学大好きなんですよ、理解しようとはしないけれども。それは、科学がどんどん魔法化されているからだとやはり思うのです。家電製品やコンピューターもしかり。もはや一般人では修理ができないような代物を通常から扱っていると、原理なんてどうでもよくなるのでしょう。
ただし、わからない、ということを無視することが日常的思考になると、騙されることへの耐性がなくなります。本当であることを見極めるためには、自分の中で納得するだけではダメなんですよね。そのうち地球は本当は丸くない陰謀論とかに引っかかる人が出てきそうな気もしています。

関心ごとについて(6)著作権

MiAUに参加したこともあって、今年のメインのテーマはやっぱりここになりそうです。正直なところ、突き詰めて語れば語るほど、権利者にとって不利なロジックしか出てこない問題じゃないかと思っています。直感的にね。なので、本当は権利者は上手く誤魔化して妥協することが一番で、実際に今の運用はそうなっているのではないかと思っています。全員が納得はしないけれども、大体なんとかなっているような。
文化庁の今のなりふり構わない暴走ぶりは来るべくして来た、産業としてのコンテンツの崩壊を意味していて、文化と著作権に対するありかたが未来へ向けて羽ばたくことをなんとか阻止しようとしている苦しさの体現であるとも感じられます。苦し紛れの存続案と、限りない未来への飛翔、文化を担う官庁がすべきことは一体なんなのか。コンテンツが閉鎖産業化してしまったことの弊害が一気に現れているのですね。
今年がターニングポイントになるように思っています。関心のある皆様は是非、直接的な行動を始めようではないですか!