「不適切だが、やむを得なかった」

すごい発言だよね。

太田房江知事は4日、「再建団体にならないための措置。不適切かもしれないが、やむを得なかった」と述べ、公式に事実を認めた。

http://www.asahi.com/national/update/0104/OSK200801040058.html

不適切というのは、赤字隠しが不適切なのだろうし、やむを得ないというのも赤字隠しのことだろう。つまり、目的が手段を凌駕するわけで必要悪という認識なのだろう。再建団体にならないためなら不適切である赤字隠しもやむを得ず「許される」。省略しているよね。実際には許されないことを、やむを得ないという言葉でくるんで。しかも不適切「かもしれない」と、ここでも不適切でない可能性に留保している。そんなわけがないだろう。
これでは再建団体という存在自体の意義が問われる。もし、起死回生の一発が予定されていて、また、予定通りに進行しているとか、一時の不祥事のせいで総体としては問題が無いけどこの一年だけどうしても乗り越えられないとか、そういう事態であればやむを得ないという発想があってもよい。よいというのは相対的にロジカルであるというだけであり、許す許さないとは別の話で。しかし、どうにもならない赤字を抱えてどう「再建団体にならないためにはやむを得ない」赤字隠しができるというのだろうか…