消費されるコンテンツ(1)コンテンツはコミュニケーションの糧でしかないのか?

年末に一発ネタ的にこんなことを書いた。

特に、消費されるだけのコンテンツは、話のタネに過ぎないと言えるかもしれない。

人類史上最大最強のコンテンツ「おしゃべり」に対抗するのは容易ではない! - novtan別館

僕の考えとして重要なのは、実はコンテンツ自体を求めている人はそれほどいないはず、というところにあるのです。というか、芸術って実はそれほど普遍的な感動を与えるものではなくて、人それぞれの感受性に左右されるし、「はまった」度合いによっても変わってくる。コンテンポラリーなジャズなんていきなり知らない人に聞かせてもよっぽどツボにはまらないと価値を認めてもらえないだろう。カジュアルなコンテンツを入り口にするかしないかというのはとても大きい。中に入らなくても満足してしまう人は、本質的にはそのコンテンツを求めていないと考えることができる。

かつてはあまり志の高くない音楽が売れていた。今は売れない。
では、なぜ、売れなくなったか?
もともと志の高くない音楽のユーザーとは、純粋な意味での音楽ファンではない。
彼らにとっては音楽は、所詮ツールであり、媒介だった。

「終わりの始まり」―― 音楽業界の2007年と2008年 - くだらない踊り方

ここでも同じことが言われている。音楽業界の中の人も必死だ。ポップな音楽と言うのはその存在そのものが「たとえ志の高いものを内包していたとしても」広く売れることが一つの大きな目的であり、その為に削られているものはあるだろう。もっとも、そういうものばかりではない。ポップカルチャーは僕自身はあまり触れてこなかった分野だけれども、深遠な何かがあり、必ず後世に残っているものはあるはずだ。クラシックだって(特にオペラなんかは)本質的には当時のポップカルチャーだろうし、音楽としての優劣があるわけではない。ジャンルとしては。ポップであること、売れるためのものが相当数混じることで総体的な質は落ちるだけであって。これも質って言葉はどうなのかと思うけれども。
さて、上記で引用したエントリに触れた松岡氏の記事の記載。

『理想は「志の高い音楽」が売れることだ。なのに消費者が衆愚だから、いいものを作っている彼らは売れない。悪いのは消費者だ。音楽をわかってない「奴ら」が悪いんだ──』
音楽界に限らずどこの業界でも、こう思っている業界人は多い。
繰り返しになるが、アーチストとかクリエイターとか呼ばれる人たちは、このテの思考に陥りがちなのだ。冷徹に「何が利益なのか?」を計算し、「お客様は神様です」と言ってしまえる商売人になり切れない。

CDが売れない「本当の理由」 - すちゃらかな日常 松岡美樹

商売人は、アーティストの側には確信的にやっているのでない限り、いないはずだ*1いわゆるプロデュースする側の仕事であるだろうし、アーティストが利益を計算し始めたらできるのは「どこにでもあるいい物」になるだけだろう。この辺は難しい。売れれば成功と思っているアーティストと、自分の音楽を貫くことが大事だと思うアーティストは違う人種とも言える。大体商売だけ考えればいいんだったら人気絶頂のときに解散するとか、そういうのってなかなか出来ない。もちろん、音楽性の問題ではなく、人間性の問題で解散することだってある。アーティスト自身は本質的には商品ではないのだ。
志の高い音楽が売れないのは「消費者が衆愚」だからでは決して無い。理解できない、感受性を持たない音楽を受け入れられないのが「愚」などであるわけがない。どちらかというと、志の低い音楽が売れるのは「消費者が衆愚」だからであって、逆には適用できないだろう。無論、本当は衆愚なんかではない。求めているものが本質的に違うだけだ。単純に受け入れられる要素がかみ合っていたら、志に関わらず売れることになるだろう。そのことの差異をわかっていない人は「志だけが高い音楽」を作っているかも知れないけれど。
初めの議論に戻ると、つまり、音楽は消費されるために作るものと、音楽の為に作るものの2種類がある。どちらかに決められるものではなく、オーバーラップしているけれど。目的の差異であり、結果はまた別の話である。そして、消費されるための音楽というものが衰えてきている。それでも生きながらえると思うけれど、ある程度の縮小は避けられないだろう。コンテンツを消費するというのはコンテンツ自身もさることながら、ユーザーの時間を消費することだ。ユーザーの時間が他のもので消費されれば縮小するのは当たり前のなりゆきである。
ここで、考えなければならない問題は、市場が縮小したら日銭をどうやって回すか。また、志の高い音楽をどうやって残していくかだろう。出版社が次々と倒れていくように、レコード会社もそろそろ限界が近づいてきているはず。市場が適性であれば、現状維持はありえないのではないか。

*1:ちょっと断定的に過ぎるが