人間を信じること

最後にしようと思ったけど、どうにももやもやするので書いてみる。

NOV1975さんは、いまだにこれが「かわいそう問題」だと思ってトリアージ関連のエントリを上げつづけてる。「かわいそうだからトリアージ導入に反対!」だなんて、福耳さんの教え子をふくめ、だれ一人として言ってないのに、いったい、だれを説得してるつもりなんでしょう?

葛藤がないね その3 - 思いて学ばざれば

元々の文じゃないかもしれないけど、発端のものを。

また、別の回に、資源の有限性がその合目的的な最適配分を促し、戦略性やリーダーシップや組織内の規範意識も意思決定も価値判断もそこから始まる、ということをわかりやすく説明したくって、四川の震災のニュースを挙げてトリアージの概念を説明した。絶対的に医療資源が不足しているところでは、「もう助かりそうにない患者」と「患者自身が処置したら大丈夫な患者」はカテゴライズして分けて、その間の「治療しなければ助からないが治療すれば助かるかも」というところに有限の医療資源を配分する、というシステムがあるんだよ、ということを説明したら、やっぱり女子学生のかなりの部分から「かわいそうだ」という反応があった。

はてな

確かに、最適配分の話がトリアージに繋がっているのはおかしい。絶対的な不足という設定そのものはコンセプトを説明するにはよいけれども、それを直接「戦略性やリーダーシップや組織内の規範意識も意思決定も価値判断もそこから始まる」という話に繋がるのは飛躍している。
僕はこの話を可能な限り好意的に受け取ったので

  1. 「競争に負けたらかわいそう」
  2. それだけじゃ経営学の話にならないことを説明してもわかってくれない
  3. ならば選択を強いる極北の例として、トリアージでわかりやすく解説だ!
  4. 「人権侵害では?」
  5. 「(´・ω・`)ショボーン」

という整理をした。改めて読み返してみるとちょっと擁護っぽいか。
ただ、ここではあくまで考え方を示すための極端な例として挙げたと受け取った。だから。
僕はトリアージというのは特定の状況にしか適用できないことを踏まえつつ、以下のように書いた。

いつのまにか、「経営にはトリアージの考え方を適用すべき」という架空の言説を批判するような空気になっちゃったように思える。

自分は違う構図を見ているような気がしてきた - novtan別館

なんでこう思ったかというと、
「「もう助かりそうにない患者」と助かりそうな患者を判別できるというゴマカシ。」
という批判をみたから。これはトリアージに向けられた批判なのだと思ったのだけど、トリアージそのものは極限状態の非人間的な状況整理に過ぎないじゃないですか。だから、判別できるかどうかは問題にならない。
もちろん、だから経営学トリアージを適用すべき、という話にもならない。でも他にもトリアージと関係ないかわいそうなぞうの話が出てきたりして。
こういう話によって、これは経営者が苦悩すべきことが「かわいそう」の問題になってしまったのだ、と僕は感じたのです。そして、合目的という話が目的が狂っていたとしか思えない、ホロコーストの話にまで到って、もはや経営学の話ではなく人間学の話になっていると思いました。
だから、「かわいそう問題」なんですよ。(だから、というのに論理性はないけれども)
そして、結構な人が人間の強さを信じているんだなあと感じました。人間が弱肉強食の世界からある程度別の目線を持つことが出来たのは、なんでなんだろう。そのかわいそうという感情はどこから来たのか。そして次のステップは、と考えると、僕は人間の弱さに対しての、学問の有用性を考えなければならないと思うんだけど、その時にいったん倫理の問題を切り離すことが人類の悲劇に繋がるとは思えない。うーん、こういう風に考えること事態が問題の捉え方が飛躍しているのかな。

あと、あんまり関係ないけど、もちろん公開しているとはいえ、ハンドルではなくてことさらに本名を用いて言及している人が多かったのが印象的でした。