コミュニケーションコスト大暴落の時代のコミュニケーションコスト

自分のずぼらさがカバーされるいろんな仕組みがPC自体、あるいはWeb時代になって出来てきました。人とやりとりした情報はPCに一元化されているし(一部携帯だったりするけど)、没交渉になった友人に手紙を出すとか、家族が出る可能性のある友人宅の電話に掛ける必要ないとか。

先月こちらの入籍と披露宴はしない旨を知らせたところ(共通の友人がいるので一応)、「私も今年入籍&来年8月に身内だけのお祝いするの! 招待状送りたいから住所教えて!」の返信。
住所は今年の初めに教えたはずだし、こちらへのお祝いはメールだけ。
とりあえずお祝いだけ返信したら、「ありがとう、ところでやれることは早くやっておきたいから住所教えて」との追い討ちが来て萎えた。

ちょっと腑に落ちなかったので吐き出させてくれ。 トータルの付き合いは10..

一方でこういう話にもなる。僕も探すより聞いたほうが楽だよね、と思ってしまうことは多々あります。一元管理された情報といっても整理されていない(例えばメールでは受け取っているけど住所録にはしていない)ような情報では探すコストはバカになりません。デスクトップ検索もだいぶ便利になったから実はそんな大変でもないのかも知れないけれども、それはある程度PCを使いこなしている人の話であってね。
なんで整理しないかというと、いざとなったら聞けば良いか、ということに対するコストが下がっているからかも知れません。本来の管理コストは自分で払うべきものですけれども、当人の情報は当人に、というハードルが下がったことによって、あえて払わない。確かに更新コストまで考えたら情報は一箇所に集中している方が良くて、必要なときに引き出せたらよいのです。招待状を送るような人は必ずしも最重要情報として情報を管理している相手ばかりではないから、ある程度ボリュームが合ったときは一気に聞いてしまう、その為にはメアドくらいがあれば十分です。まあ、メアドが一生モノの情報アクセスポイントではないというのがネックではありますが。
そうしていくと、今まではそれほど大きくなかった問い合わされ側のコストが相対的に上昇するわけですね。
相手に失礼な話ではあるといえばあります。気軽に聞けるようになったことがそういう効果を生んでいるんですよね。