よしもとばななの感覚

ちょっと面白かった話。

『人生の旅をゆく』(よしもとばなな著・幻冬舎文庫)より。
しかし、店長は言った。ばかみたいにまじめな顔でだ。
「こういうことを一度許してしまいますと、きりがなくなるのです」
いったい何のきりなのかよくわからないが、店の人がそこまで大ごとと感じるならまあしかたない、とみな怒るでもなくお会計をして店を出た。そして道ばたで楽しく回し飲みをしてしゃべった。
 もしも店長がもうちょっと頭がよかったら、私たちのちょっと異様な年齢層やルックスや話し方を見てすぐに、みながそれぞれの仕事のうえでかなりの人脈を持っているということがわかるはずだ。
(中略)
 そしてその瞬間に、彼はまた持ち込みが起こるすべてのリスクとひきかえに、その人たちがそれぞれに連れてくるかもしれなかった大勢のお客さんを全部失ったわけだ。

http://www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/day?id=60769&pg=20090808

という話なんだけどさ、リスクをとることによって得られるリターンって「大勢のお客さん」ではなくて「あそこは融通が利くぜ」って評判なんじゃないのかなあ。しかも、ちょっと異様な年齢層やルックスをした怪しい人たちに対して。いい年して(異様な年齢層ってのはそういうのも含んでいるんだろう)道端で回しのみまでしているわけだぜ?
確かに客は失ったけど、やっかいなトラブルの種も抱え込まずに済んだわけだ。「あれ〜ここの店って融通が利くって聞いたからきたんだけど…」なんて客が押しかけてきたらそれこそ「きり」がない。
もちろん、よしもとばなながそういう風になることを考えているとも思わないけどね。あそこの店は感じがよかった、また使おう、という風に思ってもらったほうが得でしょ、というくらいの感覚でしかないと思う。しかしさ、単なる居酒屋でしょ?しかもチェーンの。よしもとばななと仲間たちがこのサービスをきっかけに当該居酒屋に入り浸る、なんてことはないのだろう。サービスよかったら毎日10万くらい落としにいこうぜ、なんてことは店長にとっても想像の外であるだろう。
こうも書いている。

居酒屋で土曜日の夜中の一時に客がゼロ、という状況はけっこう深刻である。
 その深刻さが回避されるかもしれない、ほんの一瞬のチャンスをみごとに彼は失ったのである。そして多分あの店はもうないだろう、と思う。店長がすげかえられるか、別の居酒屋になっているだろう。

http://www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/day?id=60769&pg=20090808

土曜の夜中の一時に客がゼロ、というのはそれほど珍しいことではないと思うが、それにしてもこれを先に説明しておかないと「きりがない」といわれてなんだか納得がいかない感覚が伝わってこないんだよな。それにしても夜中の一時に閑古鳥が鳴いた居酒屋にマーケティング指南とは、文学者というのは何でも知っているものなのだなあ。

活字中毒R。 の人はこういう。

僕は最初にこれを読みながら、「まあ、けっこう注文してくれたみたいだし、そのデザートワイン1本くらいであれば、『見て見ぬふりをする』」というのが、原則論はさておき、「妥当」なのではないかとは思ったのです。

http://www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/day?id=60769&pg=20090808

このへんの感覚は、必ずしも「リターン」を得ようとして見逃してあげるというのではなく、来てくれた人への「サービス」として行われる類のものだよな、というところから生まれるんだと思うんだよね。
だから、よしもとばななが「人脈にあることに気づいて見返りを期待して認めろ」と主張するのはなんだか滑稽である、と思う。