Webで誰かを説得しようという試みはたいてい無駄

どころか、自分はこう考えている、考え方が違うのは仕方がない、という合意すら得られることはそう多くない。ウェブみたいなオープン環境(それは、目に入ってしまうかもしれないけど、気にしなければよい環境でもある)において、そもそも考え方が違う同士で議論する羽目に陥っている時点でその結論は目に見えているんだけど。
ただ、議論の果てに、お互いの立脚点が違うことに気がつかないで相手を罵倒して去る、というみたいなのは単なるアホか、あるいは絶対正義の化身(つまりバカ)か、どっちかなんじゃないかと思ったりはする。分かり合うことなんてそもそも必要なくて、お互いのポジションを見極めて、落としどころを探るだけで十分だし、それは結論付けなくてもよい。立場上、落としどころを明示することが出来なくても、議論の過程の中で、きっとこの落としどころはここだろう、ということが暗黙的に合意が得られるというのはよくある。
議論の前提(理論であったりエビデンス)がそもそも間違っているとか、論理的におかしな話、というものを是正することは可能だろうと思う。それは、どこかに正しさというものが存在するから。「そのりくつはおかしい」であればね。でもたいていは「その価値観はおかしい」で泥沼にはまる。絶対的な正しさがそこには存在しない。今のところ。全宇宙で共有すべき倫理はね。

よく、異星人とか進化系人類としての意識の集合体が描かれることがあるけど、そういうのにおいては価値観の多様性は思念のものであり、行動のものではない。今の社会ってのは不完全ながらそういう概念をもっており、しかし個々の行動が明確に縛れないことでそのことを実現できていない、と考えることも出来る。

わかりあう、というのは説得できなくても可能なんだけど、なぜか「俺の言い分が認められないのはバカ」で終わってしまうことが多いのは悲しい。内心で認めてなお、いえない、ということもあるだろうし。
出勤前の10分殴り書き。