社畜と家畜の相違点

「いざとなったら出荷(保険金殺人)しちゃえばいいし」なヒモの方が家畜に近い人間だなーと思っちゃったnovtanですこんばんは。
今日も誤読するよ!

飼われている
家畜は牧場主に飼われています。
毎朝エサ場に行けばたらふくご飯を食べられますが、何らかの事情でエサが与えられなくなったら、家畜たちは右往左往します。弱った足腰では、柵を超えて生き延びることすらできないでしょう。そもそも、「牧場の外に出ること」すら頭に思い浮かばないかもしれません。

社畜と家畜の共通点 : まだ東京で消耗してるの?

家畜=弱った足腰の持ち主、というのは多分に偏見なのではないかと思われますが、まあそれはいいとして

社畜は雇用主に飼われています。
毎朝オフィスにいけば毎月給料が与えられますが、何らかの事情で給料が与えられなくなったら、社畜たちは右往左往します。弱った足腰では、会社の外に飛び出して生き延びることすらできないでしょう。そもそも、「会社の外に出ること」すら思い浮かばないかもしれません。

社畜と家畜の共通点 : まだ東京で消耗してるの?

×飼われています○雇われています
あえて飼うというのは共通点を見出すための言い換えなんでしょうけど、その時点で共通点を見出すのが無理筋だっていうことが明らかになるじゃないですか。のっけから愚劣な文章全開で持ち味抜群ですね。
毎朝オフィスに行けば?行けば?行くだけでもらえるの?俺社畜になる!!!
…んなわけなくて、ちゃんと仕事して給料もらうわけですよ。給料で無くなったらそりゃ右往左往ですけれども、足腰が弱っているかどうかなんて社畜かどうかには関係ないですよね。あと、飛び出したらなんとかなる場合も多いんじゃないですかね。ヒモとか。

搾取されていることに気付いていない
家畜は搾取されていることに気付きません。毎日エサを与えてくれる牧場主に感謝すらしているかもしれません。
しかし、牧場主は利益を最大化するため、家畜たちを無機質に殺していきます。家畜たちが、自分たちは「商品」にすぎなかったことに気付くのは、死の瞬間においてです。

社畜と家畜の共通点 : まだ東京で消耗してるの?

全国の牧場主のみなさん!みなさんは無機質だそうですよ!

えっとね、僕前に口蹄疫が流行った時とか鳥インフルエンザが流行った時の畜産業の人たちの(単に利益が損なわれた、明日からの生活に困ったというだけではない)悲しむ顔を見たんですよね。無慈悲な言い方ですねこれ。
あと、家畜の意識を表現してみせるのはなかなかいいですねニセ科学チックで。

社畜は搾取されていることに気付きません。毎月給料を与えてくれる雇用主に感謝すらしているかもしれません。
しかし、雇用主は利益を最大化するため、社畜たちを無機質に「使い捨て」にしていきます。社畜たちが、自分たちが「労働力」にすぎなかったことに気付くのは、退職を強要される瞬間においてです。

社畜と家畜の共通点 : まだ東京で消耗してるの?

ちょっと待って!なんで搾取ってのが前提なんですか?これは鶏が先か卵が先かという問題で、搾取されている会社員のことを社畜って定義しただけですよね。トートロジーに近い気がしますが…でも、別に適切に給料が与えられるのであればそれは雇用契約であり、搾取ではありませんよね。搾取ってのは労働に対価が見合わないことを言いますので、仮に使い捨てにされるとしても、労働力にすぎないことは本人重々承知な話だと思うのですが…

いつクビを切られるかわからない
家畜は、自分のクビがいつ切られるかを知ることができません。動物的な鈍感さのために、彼らは毎日をのうのうと暮らします。

社畜と家畜の共通点 : まだ東京で消耗してるの?

そりゃ家畜は首が切られる=死なので別に困んないじゃないですか。動物的な鈍感さw家畜じゃない動物には動物的な敏感さとか言っちゃう勢いですね。いいんじゃないですか?ノマドとして毎日をのうのうと暮らしている人もいるんですしね。

社畜もまた、自分のクビがいつ切られるかを知ることができません。理性がある社畜たちは、「いつクビにされるんだろうか…」と怯えて暮らすことになります。

社畜と家畜の共通点 : まだ東京で消耗してるの?

理性のある社畜が怯えて暮らす?それもう社畜じゃなくない?フリーで仕事がいつなくなるか怯えて暮らすのとの違いわかりません。あ、そうか、社畜と家畜の共通点と言いつつ、ノマドもそれと似たようなものだということを明らかにしてくれようとしているのですね(誤読)

群れている
家畜は基本的に群れています。牧場主は、管理のしやすさを追求し、意図的に同質な群れをつくります。

社畜と家畜の共通点 : まだ東京で消耗してるの?

えっと…例えば養鶏場のあれを「群れている」とかいうのかしらん…

社畜は基本的に群れています。雇用主は、管理のしやすさを追求し、意図的に同質な群れをつくります。
社畜たちは家畜と違い、群れのなかで相互監視を行います。「あいつは群れに合わないヤツだ」と判断された社畜は放逐され、群れの同質性はさらに高まっていきます。

社畜と家畜の共通点 : まだ東京で消耗してるの?

社畜なのに権力闘争!社畜なのに放逐!それもう社畜じゃないよ…

現状に満足している
家畜たちは、現状を疑うことをしません。言い換えれば、現状に満足しているのです。彼らはこのまま飼われつづけたいとすら願っています。

社畜と家畜の共通点 : まだ東京で消耗してるの?

すげー、ドリトル先生がいた!これ以上いうことない…

社畜たちは、現状を疑うことはあれど、行動することをしません。言い換えれば、現状に十分満足しているのです。彼らはこのまま飼われつづけたいとすら願っています。
現状に満足している社畜は「俺は社畜だからさ」と自虐的に語ります。そのことばを吐くたび、彼らは行動から一歩遠ざかります。自分の位置を、自分で認めてしまっているからです。

社畜と家畜の共通点 : まだ東京で消耗してるの?

行動って具体的になんですかね。社畜であることが自分の価値観(生活)においての利益を最大化するのであれば、それは十分行動なのではないでしょうか。


えーと、共通点を探すときに大事なのは、それが十分に対象の特徴であるかを判別することですね。ここで書かれていることは一般的に言われる「社畜」特有のものではなく、いろんなことに当てはまります。血液型性格診断くらいには適当に思えますね。
そもそも、社畜っていう言葉の定義がいろいろありすぎて僕は曖昧でダメな言葉だと思っているのです。

ライフワークバランスを考えた時、自分の時間(プライベート)を最大化するのは大事だと常々考えているのですが、その結果として取りうる選択肢はいろいろありますよね。

  • とにかく働いて、出世して、財産作って早期引退生活
  • 9〜17時の仕事について給料安いが余暇三昧
  • 残業はたくさんあるけど土日必ず休みで残業代も駆使して趣味を楽しむ
  • etc...

いずれも、いわゆる社畜という言葉でくくる働き方の中でも選択できる人生の楽しみ方ですよね。仕事が人生において一番大事じゃない人においては、適当に仕事していたら適当に給料のもらえる社畜的な仕事のほうがリスクとリターンのバランスがよくなるって考え方だってありますよね。死ぬほど残業して給料雀の涙なんてのはもちろん論外ですけど、そうじゃなければ、上手く周りと合わせてそれなりの仕事をそれなりにこなしていくというスタイルは仕事そのものが自分にとって何かを生み出すものでなかったとしても、別の活動をする原資になるという意味では十分意味がある人生ですよね。ぶっちゃけ年収150万で欲しい本やゲームも買えないくらいだったらちょっと我慢して会社に尽くしてその分で得たものを人生を豊かにするために使用する、という方がよっぽど楽しい人生になるんじゃないかと思ったりもしますが、それはそれで個々の価値観なのでどうもこうもないですけれども。

というわけで、僕は社畜という言葉は嫌いです。仕事をすることで得られた報酬を人間らしく使う一点をもっても、家畜と社畜に共通点を見出すことは無意味だと断言しておきます。