とんでもない愚作、「夏への扉」は海外でも愛されていた

『夏への扉』はとんでもない愚作なので褒めないでくださいについて。
もちろん、増田のいうことはわかる。夏への扉は(タイムトラベルとパラドックスについて一般的に認識されるようになった)今ではベタすぎるし、話の展開もご都合主義、幼女が時間差で成長しておとなになって釣り合う的な話も今では珍しくもないどころか過去の遺物だろう。
でも、依然としてこの話は本読みに愛されている。日本だけではなく。

例えば、以下のサイトを見てみよう。
The Door Into Summer by Robert A. Heinlein
5点満点中3.94点である。
http://www.amazon.com/Door-into-Summer-Robert-Heinlein/dp/0345330129
5点満点中4.5点である。
「タイムトラベルものとしてベストだ」「非常にチャーミングなお話だ」等々、日本の読者と通じる評価がたくさん見られる。同様に、陳腐だご都合主義だという批判も見られる。つまり、日本だけで高評価されているわけでもない。
http://top-science-fiction-novels.com/the-door-into-summer-robert-heinlein/
このサイトではオールタイム・ベストの72位になっている。

増田はいきなり猫小説という観点から批判をしているけれども、この小説でピートの果たす役割は猫の生態をもって読者に萌えさせるわけではないのでちょっと的はずれだ。もっとも、猫小説として推す向きがいるのは僕も不可解ではある。
で、確かにプロットはご都合主義もいいところで、(今更ネタバレを恐れるものでもないので言ってしまうが)未来で軍事機密にたまたまアクセスできてしまうという僥倖があってこそのお話、というのはさすがにね、とは思う。でも、厳密に言ってご都合主義がないエンタメ物語はあまりないんではないかと思うんだけどね。
ロマンスの陳腐なところについてはまあともかく、ロリってのは違うよね。一緒になるのは成長してからの話だし。それ言ったら源氏…まあいいか。

ともあれ、この2000年代において、エンタメ小説の作法の積み重ねとSFガジェットの進歩とが相まって他の小説に比べて図抜けて秀でているとは言いがたい存在になっているのは確かだけれども、ジュブナイルSFに近い位置づけで読んでみるというのも良いと思う。
ただ、以前にも述べたとおり、SFガジェットそのものの陳腐化によって入門にはならないと思うんだよなあ。SFマインドがある程度鍛えられることで読めるようになる名作なんではないかと思っている。