ヴァルカン人のススメ

ヴァルカン人は一見感情を持たないが、実は強い訓練の元で論理的思考により感情を抑止しているだけであり、何年周期化で来る性衝動の時期にその理性は危機を迎える、という設定です。地球人との混血であるミスター・スポックが感情を抑止しきれず、しかし、誇りを持ったヴァルカン人であろうとする姿が描かれているのが最初のスタートレックの大きな特徴でもあり、そこでは異文化との接触と人間とは何かというテーマが語られているのです。
なんて適当なことを言った僕はトレッキーでもなんでもないので事実誤認があるかもしれないけれど。
合理的な思考というのはしばしば感情に妨げられ、あるいは個人の利益との背反性によって却下されます。一方で、感情的思考においては、しばしば個人の利益を超越した行動を起こすことがあります。それでも、その感情的行動は、それでも大抵は種族としての利益に拡大された個人の利益であることが多いのです。ただ、それが人間という種、にまで拡張することはあまりありませんね。なんと不合理な。
単純な理由として思いつくのは、利益は相対化されないと上手く認識されない、ということです。地球上における単一の(ある水準を超えた)知的種族である人間全体の利益、という考え方は、対抗馬としての何かが存在しない限り、実感することが出来ないのかも知れません。
それはさておき、以前感情は思考を阻害する? - novtan別館で書いたときに思ったのは、目的に合致する感情的行動は肯定されうるし、その時点で論理的思考は感情によって組みなおされ、「感情的にも正しい」理由で再構成されうるのかな、ということ。入力するパラメーターを変えれば出力されるものは当然違う。それが論理的思考というものであって、人が「合理的でない」というときは、必ずそれに前提があるものなのです。互いに論理的な会話をしていても噛み合わないことがあるのはきっとそれが無視されているからなのでしょう。
ヴァルカン人が「論理的であらんとするために論理的である」という半ば自家撞着的な思考方法をするのは、その大前提として、ただの挨拶に留まらない「長寿と繁栄を」と言う統一テーマがあるからなのかもしれません。
さて、我々は、ヴァルカン人足りうるのか。また機会があったら触れますが、未来予測の達人がたまに混じっているSFの世界でも、それについては悲観的というよりも、テクノロジーに頼らないと実現不能と言うヴィジョンが多く現れているように思えます。ヴァルカン人だって良く考えたらほとんどそんな感じですけどね。実際の生活の中にはあまりに感情を喚起するものが多いし、そのことを楽しんでさえいるのが人間ですから、論理が感情を超えることはなかなか難しい。常に論理的であることは、しばしば社会性が無いことと同一視されることがあります。
けれども、ウェブでこうして文章を書くことも、感情から自由にならないかも知れないけれど、そうあることができる可能性がいちばん高い世界。現実から切り離した何かを実現できる世界。純粋に論理的であろうとする心を保ち続けることは、その感情の捌け口を別の場所に求めることが出来るのであれば、可能かも知れない。一個人から理性的な部分のみ、あるいは感情的な部分のみを抜き出して、別個のものとして形作る、そういったことが可能な世界であって欲しいなと思っています。
この辺の話を読みつつつらつらと考えたこと。
void GraphicWizardsLair( void ); // 「感情論こそが真に正しい」が正しくないと思った理由
404 Blog Not Found:感情ってハック可能だよ