医療と訴訟の先に

小倉先生経由で知ったのだけど、某弁護士のブログが小倉先生曰くの医療従事者によるコメントスクラムに襲われているらしい。

訴訟があるから医師が減るという事実から目を背ける積もりはない。しかし、訴訟を減らす努力は、訴訟した人たちを、バッシングすることであってはならないと思う。もっと他に方法が有るはずである。
本当に気の毒な事案があるのも事実なのである。
コメントを送ってこられた方たちは、一生懸命頑張っておられる人たちなのだろう。しかし、杜撰な医療行為をしている医者や病院があるのも事実なのである。そういうところで発生した医療過誤について、被害者は、どうすればよいのだろうか?杜撰な医療をしている病院や医師はまったくいないと言い切れると考えておられるのだろうか?

http://machiben-nikki.at.webry.info/200708/article_1.html

通常の業務をしているだけでいつ犯罪者にされるかわからないという今の医療の現場に対して、こういった意見は非常に非現実的なのかも知れない。けれども、確かに寄せられたコメントは、特に最初の方は頭ごなしに否定するような、あまり品の良くない書き方のコメントが多くて、コメントスクラム呼ばわりされても仕方のない部分があると思う。こういった意見は、医療業界の自浄作用をどのくらい期待して良いかわからない患者側としては気になる話ではある。一方で、法曹業界の自浄作用に対して否定的な発言をするのであれば、尚更、自らには自浄作用があるなどと誇るような発言は出来まいと僕なんかは思ってしまうのだけれども。
ただ、医療が過剰な結果を求める患者や、間違った社会正義を求める報道によって崩壊に追い込まれているという現状は、直接対決する可能性がある職業の従事者としては意識しなければならないだろうと思う。
で、本題はそこではないのだけれども、小倉先生、このコメントスクラムに噛み付く。例によって無駄な議論かも知れないけれど、医療が崩壊したら困る立場として、触れてみたい。

しかも、この種の「医療崩壊だ!」系のコメントスクラムが押しつけたがっていることというのは、「医師に対して医療過誤訴訟を提起することはけしからん」という話なので、他人のブログのコメント欄で騒いでも解決する話ではありません。いくら騒いでも、医療過誤訴訟を提起して勝訴した弁護士に対して弁護士会が「医師を訴えるとはけしからん」といって懲戒処分を下すことはあり得ない(それって、別に弁護士会の懲戒手続きが形骸化しているからとかって話ではないです。)し、「医療崩壊を招くから」という理由で医療過誤訴訟の受任を拒否しようという動きが各単位会ないし日弁連レベルで行われることもないです(個々の弁護士レベルでも、おそらく広がらないでしょう。)。医療過誤訴訟で勝訴した弁護士が、全国の医師に対して、「医療過誤訴訟を提起し、あまつさえ勝訴すらしてしまい、申し訳ありません」と謝罪するというのは変な話すぎます。

「医療崩壊だ!」系コメントスクラム: la_causette

確かに脅迫的言動と感じる部分はありますね。医者訴えたら医療崩壊するかも知れないけれど、それでいいの?という。どこかのコメントでも書きましたが、基本的には患者のモラルというか、現実についてのある程度の諦めを要求する*1のが本道で、ルールの問題に還元されてはならないと思います。ルールの部分は原則論として残しておかなければならず、それを使うか否かについてを。弁護士にそのモラルの担い手になれ、というのは無理難題です。だって殺人犯でも本人が無罪と言ったら無罪を勝ち取る弁護をしなければならないのが弁護士の仕事ですからね。そういう観点では、このエントリは正しい。しかし次のエントリは…

とりあえずの目安としては、医師賠償責任保険の保険料を見るのがよいでしょう。1件あたりの賠償額が高かったり、国民が医師を訴えることに躊躇せずかつ裁判官(国によっては陪審員)も医師に賠償責任を広く認める社会では保険料は高額となり、そうではない国では保険料は低額となるからです。そして、医師や病院は、医療過誤訴訟で敗訴しても、医師陪責保険に加入している限り、ごくわずかな免責金額を負担するだけで、それ以上の金銭の出捐を要しないのが通常だからです。

医療過誤訴訟システムによる医師の経済的負担はどの程度か: la_causette

今、問題にされているのは、訴えられると、刑事責任を問われるという現状でもあります。それは保険でもカバーできません。まあそれはおいておいても、訴えられる件数が増えると、保険料が高額になる、ということが認められているのであれば、今後、高額になることが予想されると言うことですよね。
保険でカバーするもう一つの問題は、「保険でまかなえるからいーや」と諦めてしまうことですが、それはまた別の問題。
さらに。

むしろ、「多くの勤務医」が、「連続36時間勤務,深夜勤務の翌日も休みなし,といったハードな勤務で労働基準法の基準を遥かに超えて働いてい」る状況を改善する方向で「医師のモチベーション」を維持するのが本筋のように思います。といいますか、勤務先に「労働基準法を守れ」といえない鬱憤を、医療過誤訴訟を提起した患者やその家族、医療過誤訴訟を受任した弁護士や認容判決を下した裁判官に向けられても、何一つ建設的な話には繋がらないように思えてなりません。

患者や弁護士や裁判所を攻撃しても労働環境は改善しない: la_causette

実に正論です。改善しようにも改善されないと言う問題はさておき。言えない原因の一つが「患者が待っている」からであることはさておき。診療拒否をしたら訴えられることはさておき。責任転嫁はいけません。弁護士はともかく、医療知識のないとんちんかんな判決を下す裁判官は責められてしかるべきだとは個人的には思いますが。しかし。

それとも、「ミスを犯して人を死に至らしめても一切責任をとらなくとも良い」特権さえ手に入れば、「連続36時間勤務,深夜勤務の翌日も休みなし,といったハードな勤務で労働基準法の基準を遥かに超えて働いてい」る状況は改善されなくとも構わないということなのでしょうか。

患者や弁護士や裁判所を攻撃しても労働環境は改善しない: la_causette

こういう言は、いけません。皮肉にもなってない。引用元の人は、勤務の点ですら限界であるのに、さらにミスでもないことに対して裁判を起こされちゃかなわん、と言っているわけで。逆に言うと、こちらが悪くないのに起こされてしまう(そして、悪くないのに有罪になる)裁判がなければ、死ぬほど忙しいのには医者の矜持として目をつぶる部分がなくはないよ、ということを言っているようにも思えます。そこについては労働環境の悪化だけでも医療が崩壊すると僕は思いますけれどもね。
そして。

保険診療なんて安価な診療報酬しか支払わない患者を死に至らしめたとしても、わざとでない限り、如何に そのミスが重大なものであろうとも、一切の責任を負わない」ということでなければ、医師など続けていられないという方々には、「残念ですが、そこまで仰られるのであれば、仕方がありません。どうぞ他の職業でご活躍ください」という他ないというのが正直なところでしょう。如何に医師が少なくなろうとも、「病気を治してくれとはいいませんし、わざとでさえなければ、やっつけ仕事で命を奪っていただいても本望ですので、どうぞ診療して下さいませ」などと患者やその家族が懇願するという事態は、私には想像できません。

http://benli.cocolog-nifty.com/la_causette/2007/08/post_63b4.html

ここに到って、こんな言い方をしても仕方がないと思うのです。「如何に そのミスが重大なものであろうとも、一切の責任を負わない」なんてこと誰も言っていないのですが、拡大解釈するとそう取れなくもない。だからと言ってこういうツッコミをするのは誰のためなのか。全く意味がないと思います。そして後者の想像については、僕もできませんが、違う想像なら現実的だと思っています。何かというと、金持ちしか受診できない未来。医師が少なくなると資本主義社会としては当然起こることだと思います。
そんなわけで、確かに正論だと思うのですが、わざとらしい曲解をするよりも、弁護士も一つのモラルの担い手として、医療に貢献する道を一緒に探ると言うのが社会的地位をある程度備えた職業人にそうでない人たちが求めることだと思うのですね。医者然り、弁護士然り、公認会計士しかり。
もうちょっと、お互いに、なんとかなりませんか?

*1:と言うのは本来世論としてのメディアの役割であるはずですが、現状逆に機能していますよね