産業は、破壊される宿命

胡麻油の座という利権が菜種油の広がりによって崩壊したのと同様に、すべての商売は、それより優れた仕組みが出てくることにより、過去のものになり、駆逐される。そのことによって、社会は発展していく。例外は、元々あった利権を社会が守る場合のみだ。

社団法人日本映像ソフト協会(JVA)は19日、地上デジタル放送におけるコピーワンスの見直しで、10回のコピーと1回のムーブとする総務省の提言に対し、「映像パッケージ産業の破壊につながる」との反対意見を公開した。

http://www.watch.impress.co.jp/av/docs/20070920/jva.htm

「過去確立した、著作権という権利を拠り所にした利権」を基にした商売である、と言うことを自ら明らかにしているのはある意味ご立派ではあるが、一応、その利権を尊重してあげたにも関わらず、まだ足りないとおっしゃる。
「コンテンツの発展を妨げる」のであれば、わかる。過当競争や独占が制限されるように、制限しないことが発展に繋がらないことも世の中にはある。しかし、「映像パッケージ産業」と言うスキーム自体を守らなければならないと言うロジックは必ずしも正当化されない。少なくとも、この反対意見において、「映像パッケージ産業」が破壊されることが原因でコンテンツの発展が阻害されると言う理由は説得力に欠ける。ビジネスが破壊されるのは、ビジネス自身の問題だ。それ自体を国が保護する必然性は全くない。そんなことが簡単に認められるのであれば、家庭で気軽に見れるようになったせいで来客が減って廃業した*1映画館やホールに失礼だ。そして、今生き残っている映画館にも。
新しいビジネスモデルで儲けようという努力を拒否するのであれば、もはや「産業」と名乗る資格はない。「利権」だ。

*1:原因がそれだとは言えないけど同じレベルの憶測だよね。