かくして映像コンテンツの消費財化は進んでいく

一回見たら終わり。でも、自分のものにならないのであれば、あんまり払いたくない。それが消費者の心理。
例えば、映画館で映画を見るときは、一回の視聴にお金を払っているんだけど、あれは場に払っているお金でもあるし、新規性に払っているお金でもある。コンテンツそのものに払っている割合と言うのは意外と安いはず。となると、一回しか見れないコンテンツに払えるお金、家にたいした環境ではないところで、見るコンテンツの代金としては安くせざるを得ない。繰り返し視聴するのは、よっぽどの名作か、よっぽどその作品を気に入った人だけだろう。
せっかくDVDの普及でコンテンツは安くなったのに、もし、このスタイルにコンテンツの配信がシフトしていくのであれば、マーケットの全体のパイは減るのではないだろうか。ますます薄く広く。
正直な話、業界の未来がどうなろうが知ったこっちゃないのだけれど、これから登場するであろう名作が、DRMやその他の仕掛けにより、突如流通性を失ってしまうかもしれないような、そういう未来を僕は憂慮する。
パッケージされたメディアも永遠を保証されたものではない。そういう意味では、コンテンツとは有限の時間に対して提示されているもので、その保存性と言う壁を乗り越えて人々に愛されたものだけが残っていくのかも知れない。コンテンツに対する愛では乗り越えられない仕掛けがメディアに施されてしまったとき既にコンテンツの永続性は失われてしまっているのかもしれない。