アクセスコントロールと仁義と

無断リンクの問題はウェブの根源的な仕組み(法的な部分も含む)では全く抑止(禁止ということ)することの正当性がない、で大体FAだと思うんだけど、さらにその先にはお願いに対して応えるかどうかという仁義的な問題がある。無断リンク禁止が反発されがちなのは、仁義ベースの話を技術や法律や常識の話に代えてしまうことによることが主な要因だろう。マナー違反なんて話は無くて、個別にすり合わせていくべきものなんだから。
で、揉め事が起きたときに、最終的にはアクセスコントロールできるところでやれば?って話になるよね。実際にはそれは本来企図している用途と合わなくなってしまうから受け入れ難かったりするわけだけど、メリットを享受するためにはそれにともなうデメリットも甘受すべきなのだ、という話。
でも、アクセスコントロールできるところでやっていることであれば、そこから引用などをするのはしている人の仁義の問題になっていく。

「アクセスコントロールされているウェブサイトの内容を引用・言及するのはマナー違反」という考えが普及してしまうと、それを批判や言及の回避理由にして、自らは他者への批判を行うトンデモさんが出現しそうな予感がするから。

アクセスコントロールされたブログへの言及について:ekken

そんなトンデモさんの為に「「アクセスコントロールされているウェブサイトの内容を引用・言及するのはなんら問題ない」という考えが正しいとされるのもちょっといやん。
最近ではmixiなんかはSNSといってもかなりの人口がいて、多分多くても友だち3人くらい辿ったら入れるだろうし内容が見れないなんてことがないだろうから、全員に公開しているのはほとんどコントロールされていないに等しいだろうけど、XXまで公開、ってのが明示されているから引用する人は無条件ではなくちゃんと問題の所在を考えてからすべきかと思う。するなって言うわけじゃないよ。別に犯罪を見て放置する必然性もあるまい。基準を個人任せにするのはどうなの?という考えもあると思うけど、そもそも現実の世界で内緒話を他人に話すかどうかは個人に任されている。ウェブでは「口が軽い」って評価はあんまり無いけど、実際にはそういうことだよね。
ただ、上記エントリで述べられている通り、アクセスコントロールされていることがわからなかったり、その範囲がわからなかったり、となると公開してよいかどうかの判断に迷うことがある。そこは何とかしたいもの。あと公開と非公開を行ったり来たりするもの、以前公開だったときに書いてあったものに言及したものなんかをどうするってのもある。


でも、アクセスコントロールされているものを公開する、ということは、そこに「公開すべきものと考える」という判断がある。公開者はその責を負うべきだ。アクセスコントロール先でも「お前が書いたからいけないんだ!」っていってしまえるのであれば、無断リンク禁止が技術でも仁義でもなく単に俺がイヤだから禁止禁止って言っているのと大して変わらない方向性なんじゃないかな。