リバースエンジニアリングの話を文化庁主導でするのは正しいのだろうか

ましてや著作権分科会で。
ソフトウェアの、という限定的な範囲であっても、そこに含まれる知財著作権だけではなく特許、意匠権なども含まれる。ここで問題になっているのは

コンピュータプログラムのリバースエンジニアリングについては、リバースエンジニアリングの課程で生じる複製や翻案が著作権侵害にあたるのではないかという指摘があることから、適法性の範囲について検討が行われた。検討の結果は、相互運用性の確保や、障害・脆弱性の発見など、一定の目的のための調査・解析については、著作権が及ばないとする権利制限を認めるべきだということで、委員の間で概ね意見の一致が見られたとしている。

リバースエンジニアリング適法化など、文化審小委が中間まとめ

という話なんだけど、そもそもそんなところに著作権が及ぶ、ということ自体がおかしいと思う。「リバースエンジニアリングの課程で生じる複製や翻案」を公開するわけじゃ無し。

メディアはフリーだけどライセンスキーがないと使えない、とかそういう形態もある。コードの所在と記録そのものが著作権のコントロール化にあるということ自体が全く実情と合っていないようにも見える。これはリバースエンジニアリングに限らない知財全体の(技術の変化に対応していかない結果としての)ゆがみなのではないか。

メディアと著作物(入れ物と中身)が一致していた時代は過ぎ去って、今や著作物の種類によってはそれとは完全に乖離しているし、電子データだってビットの羅列を人間の見える形に翻訳して初めて(人が解釈可能な)著作物として機能するわけだから、モノによっては著作物の利用に際して与えられるライセンスと、著作物そのものに対する権利は分けて考えてよいと思うんだよね。

で、そもそもの話だけど、リバースエンジニアリングは原則的には合法的な行為であって、それを利用した不法行為を行わなければよいはず。でも、ここで問題になるってことは「リバースエンジニアリングの課程で生じる複製や翻案が著作権侵害にあたるのでは」というわりと無理筋にも見える権利の主張により、不当に合法的行為を妨げる理屈が成立していた、ということと、それが問題視されている、ということだよね。ただ、機密保持契約があるようなものをやってよいのか、という問題はある。これは契約の話だからちょっと原則とはそれるのかな。
解決策として提示されている「一定の目的のための調査・解析については、著作権が及ばないとする権利制限」ってのもね。前段の「課程で生じる複製や翻案が著作権侵害」などという考え方をとっとと捨てればよいのになんでこういう方向になっちゃうのかな。リバースエンジニアリングによって(コードを不正に流用するなどして)不法な行為を行ったときに初めてその不法性により訴えを起こせばよいはずなのになんでそうなっちゃうのかな。このロジックはむしろ権利制限ではなく、あるかもしれない程度の権利を明確にあると定義づけるものなんじゃないの?

ソフトウェアは工業製品というカテゴリーの中で上手くやっていけないものかな。

ところで、あまり関係ないのですが、ある日神様が降りてきて、「君達のDNAは我々の著作物だ。勝手に改変、複製したりすることは認められない」って言われるID論(?)ネタSFがなんか頭に浮かんでしまったのですよ。作者ってそんなに偉いの?