未曾有の日本語ブームに

どうも「日本語が亡びるとき」という本を巡って日本語の話題が活発な様子で。滅と亡の違いはどうなんだろうとか思ってしまう日本語の微妙さ加減が僕は大好きなのですが。
当該の本は読んでないので全く違う話です。とはいえ揉め事に言及だけはしてみると、ジャンル本を別の人があさっての視点で褒めたのか、自分のフィールドのジャンルと勘違いしてあるいは意図的な誤読をして盛り上げたのかどっちかなのかと思ったりしてみてました。そんな中でブクマがバカだとかなんとかというのはみんなひっかかっとるよ。ブクマーケティング大成功ってとこでしょ。
それはさておき。日本語に世界を席巻するだけの力があるかどうかは未知数。コンテンツの魅力により日本語を学習する人が出るというオタク業界があることから、日本発の重要な何かが増えると日本語の力は相対的に上がるかも知れない。でもそれって重要なことなの?
日本語が世界の主要な言語である必要はあまりないし、ほんやくコンニャクな可能性のほうがよっぽど現実味があるようにも思える。ローカルな言語として、文化としてそびえていいじゃんと思うのよ。
日本語の乱れ、とかも良く言われます。僕も同年輩のご多分に漏れず、役不足と役者不足の正しい使い方とか的を射たり得たりすることとかをもっともらしく感じ、近頃の日本語はなっちゃいねえなあと思っていたわけだけど、よくよく見ると的を得るは全然正解だったりとか、まあ、そんな感じ。乱れるほどの柔軟性はあるし、なんでもイニシャルで済ませちゃう欧米の言語ほど簡単じゃない(という意味では最近のJKとかAKBとかは日本語である意味が半分くらいしかない感じだけどまあこれはこれで)。欧米だって外来語っていっぱいあるから別にカタカナ言語化とかは気にならない。ただ、最近は言葉の寿命が短いよね。モノや概念を表わす言葉じゃなくていわゆる流行語みたいなのしかないからかも。
流行語の寿命が短いのは、伝播力の強さと反比例しているからかも知れないと思ったりする。昔の言葉は伝播するまでに時間がかかって、よっぽど強力な理由がない限り広まらない(有名な作家が使ったとか、領地換えで言葉ごとお引越しとか)から、その中で固定化した言葉は強かったのかもしれないけれど、今はぱーっと広がってすぐ終わっちゃう。流行語が日本を一周して戻ってくるなんてこともないよね。ルーズソックスはまだ流浪しているみたいだけど。
もしかしたら、昔に生まれた言葉も当時の中二病患者が「この言葉イケテね?」みたいな感じで生み出したものかも知れないし、それでよいと思うんだ。