なぜ「起きた後」のことだけしか評価しないのか

事実関係は統計などをみないとわからないのでここでは言わないけれども、話の持っていきかたに疑問。

−−厳罰化はひき逃げの抑止につながるか
《14年6月に罰則を強化した改正道交法が施行。ひき逃げは「3年以下の懲役または20万円以下の罰金」から「5年以下の懲役または50万円以下の罰金」とされた》
「あまり効果はないのではないか。厳罰化によって減るのは『冷静な犯罪』だけだ」

http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/081117/crm0811171442027-n2.htm

厳罰化によって見込まれる効果は「ひき逃げの抑止」ではないよな。「飲酒運転の抑止」のはず。
個別の事例の被害者の方には申し訳ないけれども、こうした事件一つ一つも抑止の役に立っている可能性がある。いずれにせよ、厳罰化によって「飲酒運転を起因とした死亡事故」が減っているのであれば厳罰化は有効だったと言わざるを得ない。まずそういうところをデータをもとに評価して欲しい。社会心理学者が個別の事例的なものをデータなしに主観的に評価したらまずくないかい?
もちろん、厳罰化による飲酒運転抑止効果よりも、事故が起きた時のひき逃げ増加による死亡率向上のほうが大きければ厳罰化は失敗という評価が出来るだろう。まだちょっとわからんよね、これは。
見込まれる効果と副作用を混同させて負の評価をしようという試みなのかも知れないけれども、そういうことやるとなんだっていちゃもんはつけることが出来るんだからね。
厳罰化だけでなく、車のスターターに呼気判定装置をつけるなりの方策が必要、みたいな話のほうが建設的だよなあ。