政治的配慮をしたスピーチをしたらしたで批判

何なの?結局「断固受賞拒否か、受賞スピーチで強烈イスラエルDis」しか認めないってことなの?←あえて大げさに言ってみた
自分らのやってほしいと望んだことをしない限り納得しないんでしょうかね。
まあ、「一定の評価はする。けれども」という言説自体はそれほどおかしなものでもないし、よくあるものだから、言うなというほどのものでもない。意味ないとかかえって最悪だとかは都合がよすぎる捉え方だとは思う。
村上春樹は一定のことをやってのけた。それが迎え入れたれたことの意義を考え、次のアクションをとるのは今まで要求していた側の仕事だ。さあ、具体的行動にうつるんだ!

政治的な要素を含む何かに賛意を示すのは、十分に政治的な活動である、というのはよく自称中立の欺瞞を暴こうとする人が主張することだ。村上春樹を賞賛するというのはその論で行くと、政治的言明以外の何事でもない。その後の行動を起こさない人間に死ねとまでいう人は普段よっぽど、言論以外の手段で、具体的な行動を行っているのでしょうね。それしきのことで死ぬべきだ、という人が自らの正義のために救いようのない戦争を行っている人たちを批判できるとは到底思えない。

そろそろ妖怪どっちもどっちがドアを叩きそうだ。

所詮、他人事、しかし大事な問題として、平和を単純に望む、という人は沢山いると思う。無責任と言ってしまえるかもしれないけれども、むしろ無責任でもいいからちゃんと声が上がるということが大切なんじゃないかなあ。投票率が高い選挙の結果が、低いときの結果よりも政治に刃を突きつけているといえる程度には。

前向きに捉えて行きたい。