児童虐待と表現の自由

なんだかとっちらかってる気がしてきたので勝手にまとめてみる。

実際に被写体が虐待の犠牲者となっている犯罪行為の証拠フィルムを、なんで表現の自由と絡めて議論しなければならないのか正直わからん。

http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20090721/p1

とbuyobuyoさんが言われているのはこの部分

なぜ、児童が性虐待をされている写真や動画を取り上げて「この表現を規制するのはよくない」と主張しないのだろうか?

児ポ法おぼえがき その3 - キリンが逆立ちしたピアス

のことだと思うけど、font-daさんが言いたいのは「Santa Feを持ち出したのはいかにも表現の自由に該当しそうな事例をもってこの法案がいかに表現の自由を侵害するかを主張することは多分に政治的主張であり、本当に虐待されている児童を救うという目的に対して一切コミットしていないように見えなくもない」ことへの不信なんじゃないかなあ。
強固な児童ポルノ規制推進派にとってはSanta Feですら「ガチで犯罪」なのかもしれないけど、世間一般的にはそうではない。だから、Santa Feを問題事例として取り上げることで児童ポルノ規制が結果として表現の自由を阻害し、あるいは警察の恣意的な法律の運用を助長する恐れを強調することが可能で、それをもって児童ポルノ規制そのものを馬鹿げたことと一笑に付そうとしているのではないか、と。
児童ポルノとスナッフビデオの違いは守るべきものが、「(責任能力がないと見做されることの反動として)外部から規定される、守るべき児童の尊厳」と「留保無く肯定すべき人間の生命」という違いがあるから、その外部の規定を操作することで守るべきものを変えられてしまう。だから、アグネスの主張に対する対抗言論としてSanta Fe原理が通用してしまうのは本来問題があると思うんだよね。逆に言うと、そのような対抗言論を許すアグネスの主張自体が政治的にはまずい気がするんだけど。
ただ、個人的にはSanta Fe問題と表現の自由は全然関係ない話だと思う。単純に「これも児童ポルノにするんですか?」という線引きの問題で、あまりにもあいまいな基準に対して、過去に流通が許されていて、一般にもあまり不健全と見做されていないものを単純に所持するのが犯罪だ、とされることへの不信に過ぎないと。だから、同様に、「児童が性虐待をされている写真や動画を取り上げて」表現の自由の問題にするのも主張としてありえないんじゃないかと思う。