一般人に科学リテラシーは不要、という人の一般度は?

よもや「俺は一般人ではないからリテラシーあるけどな」というわけではあるまいけれども。
ニセ科学批判の目的は一般人の科学リテラシーを高めるものなのかどうか。ニセ科学推進者に対して「お前が行っていることは科学ではない」と現実を突きつけるのがもともとの目的だし、じゃあそれに意味があるのか、と問われたときに副次的に「詐欺にあうみたいなのをほっておくなんて」という理由も出てくるけど、ぶっちゃけ実は馬鹿が詐欺にあおうがどうでもよくて、科学の名の下に詐欺をするやつが許せないだけかも知れん。
科学リテラシーを一般人が外部委託するのは致し方ない面もあるけれど、考え方についてはできるだけ自分の中で噛み砕きたいところではある。詐欺なんて理解できないものに手を出さなければたいてい引っかからない。別に科学リテラシーそのものが必要ではないかもしれない。例えば、なんとか水とかが本当に健康の役に(かなり)立つとしたら、政府がそれを推進しない理由は医療業界の陰謀論以外では説明がつかない、となれば、目の前の金を出せといっている怪しげな販売員を信用すべきかどうかはそれなりに判断がつく。
繰り返すけど、ニセ科学批判は科学リテラシーの考え方を啓蒙するものではなくて、ニセ科学に対する対症療法みたいなものだから、直接の当事者以外にとっての目的なんてあいまいで副次的に過ぎない、と思う。
ま、馬鹿には説明してもわからないから無意味だよ、意味がないならやらないほうがよいというよりも、そこに科学を用いた詐欺が存在するときに「それは詐欺だよ」と言ってくれる場が多数あることのほうがありがたい。

タイトルは…釣りかな?