小説の読み方を教えるとか

エーコとかをどう読むかだとただの解説本になるしな。ピンチョンとかだと読むこと自体がもうお手上げ。とか思う僕としては小説の読み方に教科書なんているのかとは思うけどそれはさておき。
まーぶっちゃけ

というわけで、ここまでをまとめると、このシーンで書店員は、みなみの姿形、呼吸、眼差しなどを見たことによって勘を働かせ(ピンと来て)、言葉ではあえて質問をせず、即座に『マネジメント』を勧めたのだ。そして、もし実生活でそういう経験をしたことがある人なら、ぼくの本のような形で(つまり説明もなしに)書かれていたことによって、かえってその道理を素直に感得できるうようになった。

http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20110812/1313128129

そんな書店員に実生活で出会ったらキモくて逃げ帰ると思う。ホームズ先生がクライアントを値踏みするときにもまなざしは判断材料にならないような気がする…。ので、

このシーンにおける書店員の勘の良さといったニュアンスを感得できない人は、イマジネーションが働かせようがないということはあるのだろう。しかし、そのニュアンスを感得できる人には、このシーンはむしろ分かりやすく、理解しやすいものとなっている。

http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20110812/1313128129

それを感得できている人は実際にはとても多く

http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20110812/1313128129

というのがハックル先生の主観(というより願望)であるに一票入れたい。実際にどうかはアンケートでもとらないとわからないけど、作者に届く声という観点でサイレントマジョリティーになりやすいのは否定的な意見な方だとは思っておく。

そもそも

しかしこの「何かにピンと来て上手くいった経験」は、何も武道の達人でなくても、東洋医学の名医でなくても、まま起こることなのである。そこでは、言葉はむしろ余計な、要らないものとして取り扱われる。言葉を聞くと、それが邪魔になって、かえって状況が悪くなる。

http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20110812/1313128129

なんだか例があれだよ。「武道の達人」「東洋医学の名医」っていうところに科学を超越した何かがあるように見えてしまうんだけど、言いたいのって単に「(経験に基づく)勘」のことで、それは自分でもそう説明しているんだけど、それを「武道の達人が相手の弱点を見抜くこと」になぞらえているのが大変わかりづらいというか、普通のことと言っているのに普通のことでないと言っている、アンビバレンツな説明に思えてしまう。

でもって、

「この書店員は、結果的にも勘違いしていることがわかる」のではない。その逆に、「結果的」には「勘違いしてい」ないことが分かるのだ。何しろ、この本のおかげで野球部が強くなるわけだから!

http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20110812/1313128129

この結果論である。そりゃ勘違いしてないよね。勘があたったんだから。そしてその勘は経験から裏付けられた確かなもので、みなみの姿形、呼吸、眼差しなどから判断できちゃうわけで、つまりこの書店員は只者ではなく、超達人な書店員なのであるわけですね。とはいえ、そういう評価が出来るのはたまたま勘があたったからだけど。

つまりこのシーンって、ドラッガーを薦めた書店員が勘の鋭いスーパー書店員である、ということが納得いくかどうかで、するっと受け入れられるかどうかが決まるってことですね。

ここで一つ問題が。僕、この本読んでないからわかんないんだよねそれがwこの論争の最初のエントリを見る限り、そうではなさそうな雰囲気は漂っているんだけど。

正直言って、別にどうだっていいんですよね、そんなことは。僕としては、書店員が黙ってドラッガーを差し出すことは、極めて小説的なご都合主義的行動の描写であると思うし、そのことによって小説としての味わいがあるんだと思うし、逆に言うとそれ以上の説明が必要な何かではまったくないとも思うわけで、それを長々と説明しちゃっているのがかえってその描写方法に反論するすべを与えているように思えてならないのです。という意味では事の発端は、マンガ版のあとがきだっけ?じゃないかと思うし、そこにそれを書かなかったら何事も起こらなかったのではないかと思ったりもするので、明日立ち読みでもしてみようかと思い始めたところです。