何を知っておけば批評できるのか

まあ、これを見て「ラノベひどいwww」と思うのはそれほど不思議なことではない。

もちろん、僕はこの本を持っている。いきなりネタバレだが。

SFの今や古典であるね。

だから偉い、というわけではもちろん全然ない。
ここで、一つ問いたい。SFだから、あるいは古典だから偉いの?

コレにかぎらずだけど、表現技法として適切かどうかというのは断片的なものをだけを見て判断できるものではない。じゃあ、ベスターのやり方がよかったかというと、微妙なんだけど。これをやらないでも伝えることができるのが小説の文章というものではないかと思ったりもする。まあ、見た目でわかるのは面白いけどね。
文庫の380pから411pは読むとおかしくなってくるwこのページに限らず、こういうものがたくさん散りばめられていて面白い。というか、読んだことないけどよく例で載っかる西尾維新ってこんな感じだったよね…文章の部分だけ見ても。両方読んでる人、どう思う?

さて、これはひどい、という評価をするにあたって、こういった先人の試みをそれと気づかずに批判することってのは許されないのか。ぶっちゃけSF者ならともかく、そうじゃなければベスターのフォローなんてできるわけないだろう。
もともと知っていた(というのは過去のエントリが証明してくれると思うけど)僕であれば「そうは言ってもベスターのアレもないよなあ」って言えると思うけど、最初にラノベだと思った人が「そうは言っても」なんていうと「負け惜しみ乙」になっちゃうよね。これはめんどくさい話だ。「最近のラノベ」という属性があったからこそ批判が始まって、それが「SFの古典的名作」になった途端鎮静したのであれば、じゃあみんなは何を批判してたんだってことになる。
でもSFならではの実験的な試みだからこそ許された?じゃあゴーレム100は、みたいなね。そういう話になるとそもそも論で考えていいんだと思うんだなあ。つまり、SFだろうがラノベだろうが、(今の)僕達から見て「これはない」ということで。とはいえ、もう少し文脈依存型の話ではある。

ま、結論をいうと、「正体不明なものを安易に批判するな」なんだ。よく漫画で架かっている絵の感想を求められ「こっちはいいけどこっちはダメですね」「そっちは私の絵だ(怒」みたいな場面を想像する。何かを物笑いにするときほど、慎重な姿勢が要求されるよね。自分が批評する対象が何であるか、最低限そこだけは知っておきたい。

ゴーレム 100 (未来の文学)

ゴーレム 100 (未来の文学)