ルールの問題であるならば起立斉唱すべきは市歌

橋下大阪市長が今年から市職員の入庁式で国家斉唱をすることにしたそうだ。意味がわからん。地方公務員なんだからまず誇りと忠誠をもって尽くすのは市と市民にたいしてであり、それを体現しているのが市歌ではないのか。あるかどうか知らないけど。
教育現場での国歌斉唱に僕がそれほど熱心に考えないのは、国家そのものを問題視していないという個人的見解に基づくわけだが、国家に対する抵抗感やら何やらを取っ払って決め事に従うか否かの部分はだから従っときゃいいのにレベルの問題になっている。もちろんそうではなく、真面目に考えている人はいるだろう。
でも、そこに抵抗がないのは長年行われてきて、公然としたルールだからという側面は強い。
しかしながら、特に行われていなかった国家斉唱を、一個人の見解を元に強制的に行うというのはもはや政治的な思想の押し付けに他ならない。社会問題化をしているのになお国家にこだわるのは一般常識の枠を超えて思想心情の侵害をあえてやろうとしている、法律家にあるまじき所業だ。
もはや根拠もくそもない行動を取りまくるようになった橋下市長。権力の蜜はそんなに甘いのか。歴史上で何人も存在した、理想に燃えて権力を握ったら権力に魅入られて道を踏み外した人物列伝に名を記すことになるのは近いな。

次回は、橋下徹とシスの暗黒卿の共通点をお送りします(未定