名刺という非情なツールについて

僕の最近嫌いなワードは「効率悪いよ」です。効率が悪いことが好きなんじゃないんですよ。効率いい事大好きです。でも、単純に効率を良くすることは時に本当は必要だったことをなくしてしまう弊害を持っています。本末転倒ですよね。
確かANAがシステム障害起こした時にいろいろ言っていたのもホリエモンだったと思うんだけど、効率化を追求するとそのシステムが破綻した時にリカバリーの効かないシステムを作りこんでしまったりするので効率至上主義の人は文句言えないんだと思うんだよなー。

個々人はこの事象に対してどう思っているのだろうか。何人かの知人に聞いてみると、「フェイスブックアカウントを持っていない人へのアプローチに困る」という意見があったけれど、そもそもフェイスブックアカウントを持っていないような人とは仕事をしないと割り切ってもいいレベルに私の周囲は到達しつつある。つまり、皆が名刺交換をしているから惰性で続けているだけで、本当はもう面倒だからやめちゃいたいというのが本音なのだ、という結論に達したのである。

ホリエモン 「名刺は不要、日本は無駄が多いよ」 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

僕ちょっと気になるんだけど、こういう人たちの仕事って、常に「人間関係」が成立するのかなーって。ホリエモンくらいになるともはやプライベートでも隠し事のできない公人レベルを求められるのかもしれないけど、相手はそうとも限らないよね。
その点名刺はいい。何しろ「現在の」所属と連絡先しか書かれておらず、それ以上のトレースもできるわけでもない。ビジネスツールにふさわしい非情さを持っている。まあ確かに名刺交換っていう儀礼はイマイチなところはあるけれどもさ、例えば業界懇親会みたいなところにいって「ところでfacebookのアカウントは」とかやられちゃうと一般社会人的には公私混同甚だしいと思ったりするのですよね。やっているやっていないは基準ではなくて。
逆に、どうしてもホリエモンとっ捕まえなきゃならん指名を帯びた社会人がfacebookのタイムラインで良性粘着(とはいえうざい)行為をし続けるという事態が発生しても問題ないんだろうか。タイムラインが友人でもない仕事関係者に埋め尽くされるとか僕はやだけどなあw

というわけで、一般論としては名刺という後腐れのないツールは有用なんではないかと思う次第。