「まとめサイト脳」は10年前の僕

まとめサイトにも色々あって、人の褌で相撲を取る系(NAVERとかTogetterとか)とか、2chなどから情報を恣意的に編集してくるネタ系とかが隆盛を極めていますね。Googleさんのアップデートで2chまとめの壊滅を期待していたのですが、まだまだですな。
んで、「まとめサイトに洗脳された大人」と「まとめサイト思想に染まる若者たち」 - BAYAREAD ─読書記録と忘備録─を読んで。

ウェブには情報を求める人にとって中毒性があります。人間はミステリーを読んでどんでん返しに面白みを感じるように、現実の隠された裏話みたいなものが大好きだったりします。僕もご多分に漏れず、(そもそも元々は興味なんてなかったくせに)南京事件はなかったとか従軍慰安婦は朝日の捏造とかいう記事を見てふむふむと思っていたわけですね。

ポイントが一つ。「元々興味がなかった」「それに伴って日本(とか自分の所属する何か)が攻撃される」というシチュエーションに人間は弱いと思います。例えば、心理学の分野でのデタラメは大学でそれを学んだ僕にとっては一見してデタラメであることがほとんどで、その延長線上で医療などの問題についても一定の洞察(特に統計という学問を学んだことが大きい)がある、という背景があります。でもそうじゃなかったらまず新しい情報を咀嚼することから始めますよね。そのためには一旦それを信じることになることが大半でしょう。

問題は、「疑いつつも真実と仮定して更に学ぶ」ということは学校教育ではなされて来なかった形のものです。学校教育ではまず何が正しいかを学ぶのが中心です。受容のプロセスは単純なところからスタートしますから、それに慣れている。なので、「政府の言えない真実」なんて言葉にあてられてしまうし、文献が提示されるとそれは「正しい」想定で受容しますからね。教科書と違ってデタラメ書いてある文献なんて山ほどあるので。

ではどうやったら「まとめサイト脳」から脱却できるのか。単純だけど簡単じゃないですよね。僕が当初は可能性を認めていた「南京事件従軍慰安婦は捏造」的な部分から脱却しているのは、「こうであってほしい」自分の気持ちより客観的な意見を尊重したからです。これはなかなか難しいことだと思います。それが可能だったのは気質としてのプライドの低さ(というよりはそんなものより根拠が大事という気質かな)があったからでしょう。僕は元々なんでもバンバン主張し、負けて得るものが多いというプロセスを踏むことが多く、他人にとってははた迷惑なんじゃないかと思わなくのないですが、まあいいんです。

ブログを書くという行為がいいことだと思うのは、自分の考えを明確に言語化して、そのことについて運が良ければツッコミが来るという点。受容一辺倒の脳では情報の整理もできませんし、自分のスタンスというものがはっきりしません。しまいには単なる「何かの受け売り脳」になってしまうだけです。

大事なのは「自分で考え、決める」ことではありません。そう言った活動を通じて「信頼出来る他者」を見つけ出すのが一番大事です。なにしろ人の脳の容量には限界がありますし、全分野すべてを網羅したスーパーマンにはなれそうもありません。であるならば、信頼出来る考え方があり、信頼出来る情報を出している人をどれだけ抱えているかが大事なんじゃないかなあ。

特に2ch及びそのまとめサイトが情報ソースになってしまっている人はそういった点をもう一回見なおして見ることが大事なんだと思うんですよね。

もちろん、これは「誰が言ったか」が重要だ、という話ではありません。「普段何を言っている誰が言ったか」ということが重要なんですよ。