科学の世界における断絶?

僕は日頃から科学科学言ってますが、文学部出身です。とはいえ、心理学研究室(特にnot臨床系)において行われる研究手法は自然科学の
それであり、またその成果も自然科学(生物学、精神医学等々)に寄与するところが多々あります。

僕が専門としていたのは動物(生物)心理学というやつで、平たく言うと動物実験したり動物実験したり動物実験したりするところです。文学部なのに研究室には立派な顕微鏡、解剖装置、冷凍装置、薬物保管庫、多数のPC、手作りの実験装置がありました。

動物の能力(やそのメカニズム)を明らかにすることにより、人間が能力をどのように獲得して(あるいは失って)きたのか、その能力の源は何なのかを導き、人という得体のしれない生物の謎を解き明かす一助にする、というちょっと地味なところのある分野ではありますが、イグノーベル賞くらいは狙えますね(受賞してたしw)。

さて、なんでこんな話をするのかというと、こんな記事を見たから。

つまり、脳を有する頭部が切断されたのにもかかわらず、頭部の再生したプラナリアは以前の記憶を有していたのだ。

http://aqua2ch.net/archives/29667472.html

少なくとも、この結論って、心理学系の分野の研究では随分前から出ていた気がするんだよね。もう記憶も曖昧だけど、研究室の先輩がプラナリア使って研究していたから、そんな印象がある。
だとしたら、これって車輪の再発明みたいなものなんだけど、分野が違うと過去の事績は発見されなくなってしまうのかなあ。

まあ「知ってた」というのが勘違いかもしれませんが、(特に日本では文学部に分類されることで)微妙な立ち位置にいる心理学の研究にも質の高いものは沢山ある(低いものも沢山あるわけですが…)ので、ちょっと勿体無い話何じゃないかなあ。