「普通」を敵視しても何も解決しないと思う

普通っていう言葉って大変微妙ですよね。みんな普通に使う(←例)言葉だけど、その時々によって内包している価値観は異なるわけです。だから、普通って言っている人が普通とは何かをわかっていっているわけではないんですよ本当は。ただ、その言葉を発している人はそこに「大抵の場合」「自分が考える正しいあり方としては」という価値観をのっけている。

そもそも、僕はいつもこの「ふつう(以下、普通)」という言葉に脅されてきた。「大学に行って就職して正社員になるのが普通だ」とか「30過ぎたら結婚して家庭を持っているのが普通だ」などという、有形無形の圧力に、僕はいつも押しつぶされそうになっている。

普通に「普通」という言葉は怖いよね。普通

僕は30過ぎても独身だからここで言う普通に当てはまらないのかもしれないけど、大学行って就職して正社員にはなっているから、半分普通なのかな?でもうちの親はそういう意味では全然普通じゃなかったし…
なんて考えると、ここで脅されてきた「普通」ってのは単に赤木さんが出会ってきた人間の多数意見だったに過ぎなくて、脅されてきたってのも自分が少数派であることに対する過剰な恐怖なんじゃないかって思うんだよね。

ようは、集団的「普通」を恐れるあまり、そこに存在する一人ひとりの考え方と向き合わなかったんじゃないかという疑問があるわけ。

実際には、「普通」と言っていても、全員同じ考え方ではなくて、ただ、端から見ているとそれが最大公約数的なコモンセンスに見えてしまうっていう。だから、過剰に普通を恐れるってのは嫌韓とかそういう考え方と表裏一体なんじゃないかと思う。

相互理解をすべき、という主旨のエントリだと思うんだけど、「普通」という言葉を思考停止的なものと見なして無条件で排除するというのもこっちがわあっちがわで同じことをやっているように思えてならないんだよね。