意識高い系()が見下す意識低い系とは

「意識高い系」というのは誹謗中傷だということです。誹謗中傷ということを認識しながら同様のことをやってしまうのはさすが意識高い系…あ、僕は別に誹謗中傷だと思っていませんよ!

「意識高い系」という誹謗中傷が目につきますが、「意識低い系」に対する考察は少ないので、書いてみようと思います。

「意識低い系」の特徴 : まだ東京で消耗してるの?

まあここでいう意識高いというのは思考がヘブン状態というか宇宙の彼方というか並行宇宙の最も素晴らしい人生というかなんというかよくわからない状態のことを指すので(デタラメ)、反対側に意識低い系という存在を定義できないだけな気がしなくもないですね。

意識低い系の人々は、「頑張るのは恥ずかしい」という価値観を抱いています。「全然ベンキョーしてねーよ」「あいつ頑張っちゃってダサくね?」といった、ヤンキーっぽい価値観、といってもいいでしょう。

「意識低い系」の特徴 : まだ東京で消耗してるの?

これ、直前のエントリ見るとおかしみが倍増しますよね!

ぼくは「努力(=頑張ること)」それ自体には、まったくの価値はないと考えています。この考え方は比較的珍しいようなので、解説してみます。

ぼくが「努力には何の価値もない」と考える理由 : まだ東京で消耗してるの?

おお、ヤンキーっぽい価値観ですね!頑張ったらダサい!価値がない!努力には価値がない!意識高い系カッコワルイ!!!
ええと、なんか変な気がしますが。

「頑張るのは恥ずかしい」という価値観は短期的には救いをもたらしますが、相互監視の力学が駆動した時点で、自縄自縛をもたらします。「意識低い系」の人たちは、そのことに気づかず、弱みを認め合い、動けなくなります。「頑張るのは恥ずかしい」という価値観を受け入れることは、「毒薬」を飲み込むようなものでしょう。

「意識低い系」の特徴 : まだ東京で消耗してるの?

おお、なるほど。つまり意識高い系の人々は頑張るのは素晴らしい、という価値観の持ち主ということですね。そしてその考え方には価値がないということですか。高度な日本語過ぎて僕には理解できないのですが、それは僕が意識低い系だからですねきっと。

「頑張るのは恥ずかしい」という価値観を受け入れた人々は、頑張らないがために、活動範囲は狭まっていくでしょう。いいかえれば、居場所が減っていくのです。その貴重な居場所を守るために、我慢することも増えていく。ストレスは居場所の外にいる他者に向けられ、彼らの攻撃性はますます高まっていく。

「意識低い系」の特徴 : まだ東京で消耗してるの?

ヤンキーっぽい人たちも家庭ができ、子供ができ、日々の糧を得ながら幸せに生きているケースも多いと思います。むしろ意識高い系の頑張るという言葉と意識低い?系の頑張るという言葉はカテゴリーが違うようにも思えてきます。人生において「意識高い」ことから得られることとそうじゃないことで幸せのレベルを比較するのは大変難しいです。
人間社会の頂点(まあ高いところといえば何とかが好きなところですね)に位置すると思われる意識高い系の人たちとそれ以外、というくくりで考えた時に意識低い系というのが残り全部の人たちのことを指すのかどうかさっぱりわかりませんが、単に世を拗ねている人たちを意識高いところから見下して嘲笑している人たちが「意識高い」という言葉で称されるのはどうもしっくり来ないのでやっぱり「意識高い系」っていうのは誹謗中傷の言葉という冒頭の説明には一定の真実が含まれているように見えますね、意識高い系の人のいうことだけに。
でもまあ

あいつは頑張っていないからダメなヤツなんだ」という断罪につながります。

ぼくが「努力には何の価値もない」と考える理由 : まだ東京で消耗してるの?

と言い切っているくらいなので意識高い系のクズさ具合については相当自覚的であるということなんでしょうね!