仲良くしようよ

医師法

第1章 総 則
第1条 医師は、医療及び保健指導を掌ることによつて公衆衛生の向上及び増進に寄与し、もつて国民の健康な生活を確保するものとする。

弁護士法

第1章 弁護士の使命及び職務
第1条(弁護士の使命)弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。
 2 弁護士は、前項の使命に基き、誠実にその職務を行い、社会秩序の維持及び法律制度の改善に努力しなければならない。
第2条(弁護士の職責の根本基準)弁護士は、常に、深い教養の保持と高い品性の陶やに努め、法令及び法律事務に精通しなければならない。



崇高な目的があるのだからね。

無理解が生むもの

世の中は色々なもののバランスで出来ていて、そのバランスが崩れたことを多少なりとも理解しないことには社会のバランスは元に戻らない。バランスが崩れたと言う事実を知らしめるべきは、メディアなり、当事者なりであるけれど、一方で、そのバランスが自らを有利にする人々がさらに天秤を傾けようと仕向けたりもする。あるいは、バランスが取れているときの、つまり、ある程度理想的な状態に近い時に適用できる原則論をそれが原則であることだけを理由に、すなわち今直面している現実と言う状況を全く考慮せずに唱えることで、バランスを取り戻す施策を非難したりする。
無理解が、生むものは、まず諦め、そして逃亡、あるいはテロだ。
医療問題におけるテロ行為…というと言いすぎだとは思うけれど…は、ストライキだ。医師がストライキをすることによって世の中が受ける影響は計り知れない。しかし、もしそんな事態が起こったときに、医師の身勝手さのみを責めることが出来るか。いや、それはできないだろう。一人一人には罪が無いかも知れないけれども、その積み重ねによる世論がそれを起こしたのであれば、民主主義社会の一員としてある程度の責任を担うのは当然であろう。ましてや、直接間接でこの問題に関わっている人は。
経験したことがない事態は、一回思い知らないと実感できないのかも知れない。想像力の欠如、と簡単にいうことは出来ないかも知れないけれど、でも、起きる前に、少しでも理解する努力をできればいいのに。問題は、こういったことを危惧する層と、実際に問題を起こす層が全く異なることなのだろうね。しかし、その片棒を担ぐ層は、危惧している層と被っているはずなのだけれども。

ATMが止まっていいわけないだろ

この人はIT化をする目的を履き違えた意見を言うべき立場ではないと思うのだけれども。業界全否定に近い。
銀行がかつてなぜ15:00に閉まって深夜までお金が1円も狂わないようにしていたか、と言うことを考えると、IT化の果たした役割は大きい。もちろん営利企業としての銀行に求める話として、1円たりとも勘定をたがえない事を我々消費者がずっと要求していたかと言うと、そうではないけれども、そういった姿勢が日本での銀行に対する信頼につながっているし、それを何度か裏切ってきたためにより一層システムによる不正の防止が求められているわけだ。

浜口氏は、一時も止めてはいけないシステムとして航空管制システムを例に挙げた。刻一刻と移動し続ける航空機を監視するシステムが障害で止まれば、多数の乗員乗客の生命が危機にさらされるためだ。
その一方で浜口氏は、「大手銀行のATMがシステム障害で30分止まると、(新聞やテレビは)大問題として報道する。だが、本当に止まってはいけないのだろうか。30分でだめなら、何分だったら許されるのだろうか」と疑問を投げかける。「日本という国は欧米と比べ、こと信頼性に関して見る目が厳しい。その日本人の要望に応える形で、システムの信頼性は高水準の領域に達している」。

「銀行のATMは、本当に止まってはいけないのか?」、JISA会長の浜口氏が問題提起 | 日経 xTECH(クロステック)

そうではない。ATMは既に社会インフラであり、止まると(間接的に)人の命を奪うことになりかねない。あるいは、先日のような相場の急変状態のときに、システムが止まっていてマーケットに追随できないことが経済の崩壊の引き金になる事だってある。
日本の銀行は、オンラインが止まってしまうと業務が回らない程度には効率化されている。ビジネスモデルがオンラインありきであり、振込みが間に合わなくて不渡りが出るような事態を考えると、少なくとも営業日日中にATMが止まるような事態は社会問題といってもよい。そして、それは社会インフラの問題であるから、そこに依存した社会が出来てしまった時点で後戻りが出来ないのですよ。
止まってもいいじゃない、という発言は、つまり、効率化を一部やめて、手運用を出来るだけの人員を、何年に一回起きるか起きないかの障害のために雇い続けましょう、という発言と言ってもよい。言い過ぎかもしれないけれど。
ここで僕が言っている「止まらない」と言うのは、迅速な復旧(つまり、障害時の運用)を含めたシステム全体の話で決して「障害を絶対に起こさないシステム」の話ではない。銀行システムにおけるあるべき信頼性のレベルがどこか、と言うと社会におけるポジションを考えると決して今の水準が間違っているとは思わない。


と、まじめに話しつつ、ちょっと思うのは、銀行はもう少し適当でもいいかな、ということ。お金を扱うということに過度に神経質になっている気はする。ただ、それで銀行と顧客が上手くやっていくためには、「人」を信頼しなければならないし、そのためにかかるコストは今の生活様式ではちょっと大きすぎるような気がするので、システムを信頼したほうが楽と言えば楽なわけです。上の話は、今、社会の一般的な認識として銀行に求められている信頼性、で語っているし、JISA会長の発言は、社会システム自体が堅すぎるんじゃないってことを言いたいのかもしれない。
でも突き詰めていくと、手運用した経験のある人が減っていく中で、障害が起きたときに手運用に切り替える仕組みを作るよりも、堅いシステムを作るほうが結果としては楽な気がするな。
ちなみに、手運用に切り替えず、止まったまま待ってればいいってのは無しで。その銀行を使っていたと言う不幸を受け入れろ、と言うのはシステム屋としての態度でもないし、銀行自身も許容し得ないでしょう。

〜をした場合、〜は崩壊します

これは、自分が直面しているあるいは、業にしている問題についてよく語られやすいけれども、そうでない人にとっては、何で出来ないの、と思われてしまいがちな話。
もちろん、事情をわかっている人がこれを主張することはかまわないんだけど、かたやその持っていきかたを否定し、かたやこうやって自らの専門について語ることにはどうも違和感がある。
この話の仕方を認める(自分でも使う)のであれば、崩壊しないよ、って言うことを具体的に言うことだと思うけどね。外堀を埋めても仕方がない。
いずれにせよ、この言い方はあまり建設的な議論を生まないので、あまり好きではありません。たまに使っちゃうけど、その心は焦燥感。だから、これを使う人の言葉からそういうものが読み取れたら、好意的に受け取ろうと思うし、逆にレトリックというか、戦略的に使おうとしているのが見えたら否定的に受け取ってしまうな。そういうバイアスをかけないためにも、あまり使わないほうがいいと思う。究極的には同情した人の意見しか集まらなくなって、変な暴発に至るんじゃないかと思ったりします。

無断リンク禁止議論をするときの前提として

何周も何周もしているから、同じ議論になるのは仕方が無いとしても、これだけのメジャー議論な訳だから、ある程度の前提を最初から置いてもよいと思うのだけどね。また議論になっているので定期的な話題として。

  1. 無断リンク禁止は現時点では法的な効力は認められない
  2. ウェブを家に喩えるときは、壁と鍵のかかるドアを用意すべし
  3. 1の前提があるため、要求ではなくお願いとして語るべし
  4. 禁止するより、そのことに触れない方が無断リンクの量は減る
  5. お願いには、明確な理由が必要だが、1に触れてはならない
  6. 1に反する議論は、現時点ではべき論とか将来像であることを認識すべし
  7. 自分の思いがネット社会のマジョリティーだと勘違いすることなかれ(これはこちら側も)
  8. 自分の一言で簡単にネット社会を動かせると思うなかれ(by feather_angelさん。ちょっと改変)
  9. 技術で解決することは可能かもしれないが、自分で作成できないのであれば、その技術はないのと同じだということを認識する(by junkMAさん。結構改変)

これくらい普通に意識していたら、無断リンク禁止って言っても単なるループにはならないと思うけれどもね。
僕は、無断リンク禁止には意味が無いと思うけど、リンクされたくない気持ちは良くわかるし、その気持ちが明瞭で納得の行くものであれば、あえて晒しリンクをしたりすること自体にも意味を感じないですね。

追記でブクマコメにお答え

>tokoroten999 無断リンク禁止は議論するようなことじゃない、とはっきり言ったほうがいい。
議論したい人はそれでもいるし、そういう人の声が大きくなって、元々問題自体を認識していなかった人に一方的な声が耳に入り続けるのは避けたいですから、こうやってちょこちょこ書いたりするわけです。
>dadabreton このエントリーの内容も何周もしているループの一部。
というわけで、ループ自体は意味がないことでは現時点ではないと思っています。
あと、feather_angelさん、junkMAさんからいただいたコメントはリストに(内容は書き換えましたが)追加してみました。どうでしょう。

はてブのタイトルを旧字に変えまくる奴が居る

製作者の意図を無視した所業といえよう。自己満足に留まるならよいのだけど、見難いこと甚だしい。
個人的には、古い漢字(場合によっては正字、でもそうでもないことがある)自体は好きだし、字そのものに対しては特に恨みは無いけれど、一定の解像度が確保される印刷物ならともかく、必ずしもそうではないウェブ上で、画数の多い漢字がやたらと使われているページは読みづらい。
まあ、自分のブログでやる分には構わないんだけど、人のエントリのタイトルまで変えて良しとするのは、自分のブログで他人が引用などで漢字を書き換えることに敏感な人のやることではないと思う。