興味深い⇒上から目線だ!になってしまう理由とは

かつての心理学の徒としては(またこれか)、感情はロジックで説明してみたいところです。あ、「興味深い」と「上から目線」 - novtan別館の続きですね。
さて、興味深いと言う発言=上から目線と受け取られて当然という発想。なかなか分析しづらい話です。

きょうみぶか・い 5 【興味深い】
(形)[文]ク きようみぶか・し
〔「きょうみふかい」とも〕大変おもしろく心がひかれる。関心がもたれる。興味が深い。
「―・い問題」

goo辞書検索 三省堂提供「大辞林 第二版」より
  1. 興味深い=感心あるいは関心の一表現として捉える
  2. 興味深い=感心しつつ客観的立場を保つことの表明と捉える

通常1であることがほとんどだと思いますが、原義としては上記の辞書の定義にもあるように基本的にはポジティブな意見としての言葉ですね。これを2の意味で捉えること自体がそもそも言葉の受け止め方が間違っているということになりますが、ここで注目したいのは、ソーシャルブックマークと言うメタにもベタにもなる文脈*1の中で語られるとき、「興味深い」という発言が皮肉や愚弄、あるいは自分を棚に上げたものとして行われていると言う事実がままあることです。
ポジティブワードなら何の言葉でもそうなんだけれども、文脈によって皮肉などに転化させることでかえってネガティブイメージを表現する、ということは良くある文章術です。ただ、そのためには文脈がなくてはならない。だからSBMそれ自体を文脈、特に上から目線文脈と感じている人が「興味深い」を皮肉と受け取ったとき、「興味深い」自体も上から目線表現の一つとしてはなかなか優秀な表現だと思いますから、ダブル上から目線と感じてもおかしくはないでしょう。
ただ、SBMが上から目線文脈だ、と感じるに到るまでの何か経緯が無いと普通はそう感じませんよね。つまり前提として

  • SBMで上から目線言及をされまくった哀しい過去
  • 自分が普段上から目線でSBMしまくっている

というようなものが存在するのではないでしょうか。「興味深い」という言葉そのものではなく、客観的な視点や「興味」*2に対しての過剰な反応であるということです。皮肉とそうでないもののボーダーラインがわからない、あるいはわかりたくも無いから全てを一蹴してしまうという。
僕自身としては上記の理由より「興味深い=上から目線と考えるのは当然」とは全く思いませんが、「興味深い=上から目線と考えるのは当然と考える人がいるのは当然」と考えています。そういう風に見ることが上から目線だ、と言われそうですが。

*1:もちろん、他の方法での言及でも同じことがありますが、特に観客的なポジションの人が多いという意味での代表としてあげています

*2:興味があるという言葉自体も一歩引いた視点と捉えると「観察してんじゃねーよ」と反応することがあってもおかしくない