コミュニケーション能力の変遷

とにかく人に話しかけるのが嫌いだった。単にどんな反応が返ってくるかわからないことを恐れていたんだと思う。電話は嫌いだ。顔が見えないからどんな反応をされているかわからない。話しかけられることは嫌いじゃない。自分がどのように反応するかの問題に過ぎないから。でもウインドーショッピングしているときに話しかけてくる店員は勘弁な。
こんな僕が結婚式の二次会幹事を立て続きに頼まれるなんて世も末成長したものです。
げに恐ろしきは社会経験で、少なくとも人に話しかけて反応を窺うことは全く苦にならない。ぶらぶらと店の商品を眺めていて話しかけられても当たり障りの無い話をして流すことが出来る。なんという成長!
少なくとも、こういう表面的なコミュニケーション能力を養うのは完全に経験値。どんなに引っ込み思案であっても、この手のコミュニケーションが自分の中に切れ込んでくることはほぼ無いから安心して適当に話すことが出来るという点を学習すればいくらでも相手をすることが出来る。
その一方で、もうちょっと踏み込んだコミュニケーションには覚悟が必要ですね。なんでも話してもいい相手を見つけたとしても、何でも話すかどうかというとそれは別の問題であって、どこまで話してよいものやらその距離感が掴みづらい。
ただこれもある程度は経験がものをいう世界で、やっとその加減がわかってきたと思ってはいるのですけれども。