本と言うメディア

以前新聞についてはちょっと書いたんだけど、本と言うメディアフォーマットについて面白い見解が示されていたので僕としても語ってみたい。

本が「過去」と「未来」と「変わらない安心感」をワンアクションで体感させるインタフェイスを持っているところ、だったりする。

本というインタフェイスについて今週のおれが考えていること。 -

これいいね。
僕が考えるところの本の良さと言うのは、まずその完結した世界であり、表紙であるとか、角であるとか、それこそその一ページごとの冒頭であったりとか、そういうところが、電子文書にはありえない安心感と言うものと、人間的な検索性能を十分に発揮させるんじゃないかと言うところだったりします。
ページ分割されたウェブページは言うに及ばず、一ページにまとまっていても、例えば、スクロールバーのどのへん、というのも閲覧しているツールに依存するし、検索は、検索しないと検索されないのです。なに当たり前のことを言っているのか、と思われるかもしれないけれど、本における検索は実は検索ではなくて、記憶への旅なんですよ。パラパラとめくることで、読んだときの記憶が再構築され、それは単なるテキストの流れではなく映像と結びついたものであって、あの辺この辺といっている頭の中では、目的の箇所以外の部分も同時に読み込まれる。それは目に入る画像から喚起される。これは単なるフラットなテキストでは起こりえない体験であって、そういう意味では、テキストを固着するメディアとしては究極のものが本なんではないか、と思います。
ところで、携帯で読むウェブページは実はちょっとそんなイメージが少しあって、それは、一度に目にすることができる部分の限界から逆にそう思わせられるのかもしれない。そんな風にも思えます。
人間の記憶の仕方を考えると、巻物が本になったのも単なる目的にたどり着くための合理性だけではないような気がします。