医療過誤訴訟の現状について調べてみる

某所での「医療過誤訴訟自体が年間1000件前後しか提起されておらず、しかも原告勝訴率が3割前後しかない我が国」という言葉が気になったので、簡単にわかる範囲で調べてみました。
まず、信頼できるかはおいといて、Wikipedia

なお、医療過誤訴訟との呼び方については、訴訟が進行している段階では、未だ過誤の有無が不明であるにもかかわらず、過誤があることを前提にしているようなニュアンスがあるため、不適当という意見もある。

医療訴訟 - Wikipedia

これは気になってた。

従前は、「医療訴訟において裁判官は、鑑定人の判断に依存しすぎている」との批判があったが、少なくとも東京、大阪などの地方裁判所に設けられた医療訴訟の集中部では、全医療訴訟事件中、鑑定を実施した事件の割合はおおよそ10%程度であり、鑑定人に過度に依存しない形での医療訴訟が実現されている(大阪地方裁判所専門訴訟事件検討委員会「大阪地方裁判所医事事件集中部発足5年を振り返って」判例タイムズNo1218)。

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鑑定、しないの?つまり、訴訟の90%は、事実関係を争えばかたがつく程度の問題と言うことでしょうか。

なお、アメリカ、イギリスなどの英米法系の法制度では、患者側と医療機関側それぞれの協力医の尋問を行うことで医学的知見を立証するのが原則となっており、日本など大陸法系の法制度が公的な鑑定を原則としているのとは対照的である。

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なんで日本ではしないのか。するとどちらに不利なのかって話に繋がるかも。

平成16年度には1110件にまで至っている

医療訴訟 - Wikipedia

1000件程度、というのは正しいようだ。

裁判所が過失の有無を判断するに当たっては、医療の現場が一般にどのような医療を行っているかという「医療慣行」も考慮して「医療水準」を判断しているのであって、裁判所が「医療慣行」を無視した独自の「医療水準」なるものを創設するわけではない。そのため、医師などから指摘されることのある「医療の専門家ではない裁判所が医療水準を作るのは適切でない。」という類の懸念は、このような裁判所の判断構造に照らす限りは、誤解である場合が多い。

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医療過誤の捜査を担当する警察・検察には医療の専門家がほとんどいないため、医療のシステムの問題よりも医師のミスを追及しがちで、再発防止には役立たないとする批判も多い。

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ここの辺りが最近の過度の責任を求められている問題のように思えます。それが進むと

アメリカでは患者側の立場が強い傾向にあり、医療過誤における賠償金額はしばしば高額となり、その件数も日本と比べて多い。
医療機関側は、医師の損害賠償を補填する保険(医師賠償責任保険)に加入することでこれに対抗しているが、年間10万米ドルを超えることのある保険費用は、間接的に医療費の高騰につながっており、医療過誤危機(malpractice crisis)と呼ばれる。 訴訟の多い産婦人科や小児科では、高額な保険料を払えないため廃業する医師が相次ぎ、深刻な社会問題となっている。

医療訴訟 - Wikipedia

こうなる。これを怖れているわけですね。
さて、原告勝訴率は載っていないので他を検索検索…ちょっと古いけどドイツの話も載っているここ

前掲『執務資料』12ページ以下によると、1976年から1987年まで間の通常民事事件における原告勝訴率が平均86.5%(対席判決だけの場合は76.6%)であるのに対し、医療過誤民事事件における原告勝訴率は平均34.2%である。
〜(中略)〜
(追加・ドイツにおける1994−96年の医療過誤訴訟の過誤肯定率は平均31・1%という。中村也寸志「ドイツにおける専門訴訟(医療過誤訴訟及び建築関係訴訟)の実状」判例時報1696号38頁)

http://homepage1.nifty.com/uesugisei/hanreijihou.htm#原告勝訴率

ドイツでも、医療過誤訴訟は勝訴しづらいようです。
次。この辺をみると、件数も勝訴率も減ってきているようです(via 平成18年の医事関係訴訟の統計: 弁護士のため息)
http://www.courts.go.jp/saikosai/about/iinkai/izikankei/toukei_01.html
http://www.courts.go.jp/saikosai/about/iinkai/izikankei/toukei_03.html
その代わり、和解が増えている。
http://www.courts.go.jp/saikosai/about/iinkai/izikankei/toukei_02.html
外科が減ってその他が増えている(速報値だからかもしれないけど)が気になる診療科目別
http://www.courts.go.jp/saikosai/about/iinkai/izikankei/toukei_04.html
和解が増えることはいいことなのか悪いことなのか、俄かには判断できません。
さて、数字だけ見ると、医療訴訟は、患者の側に不利です。そして、1000件と言うのが実際の事故の件数ではない(はっきりとした数字が出てこなかったけど、10倍程度はあるらしい)のですが、事故のうち過失の割合がどのくらいあるか、と考えると、必ずしも「少ない」とはいえないと思います。
さて、数字だけ見てもわからないのが、医療問題の一番の難しい点ですね。争点はいくつかあるけれども、少し挙げてみると

  1. それは事故か、そうでないのか
  2. 事故だとして過失か
  3. 悪意によるものか

1の時点で既にハードルの高い話で、元々助かるものだったかどうかをどう判断すれば良いのか。ここでの事実誤認は医師の負担増に繋がります。また、2の認定についても同様で、何をもって過失とするか、というのは簡単に判断できる問題ではありません。
例えば、http://www.yabelab.net/blog/2006/09/29-224202.phpで紹介されている事例では、予測可能性が過誤と見做される、可能性を示唆しています。判決文を見てのコメントではないので、実際どうかはわかりませんが、そうであるとしたら、医師のおかれる立場はますます厳しいものとなりますね。
3については議論をまたないと思います。明日ゴルフで早いから拒否みたいなのも含めて。
元検弁護士さんのところには、医療問題を巡る色々な見解が示されていて大変参考になるのですが、以下のような言葉には大きく頷きます。

医師は、誤診または医療行為の失敗または不成功という事実と正面から向き合わなくてはいけないのではないでしょうか。
そして患者側も誤診、失敗、不成功の可能性の存在、言い換えれば手塚治虫氏が描いたブラックジャックのような完璧な医療は必ずしも期待できないということを認める必要があると思います。

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事故だ、と言うのは完璧のものに対する相対的な言葉であり過失にしても、完璧にできていたら、というところを基準にされるのは不本意なことでしょう。また、結果が全てと見做したとしても、そもそもその結果自体が本来不定である、という点に目を瞑ると際限ない責任を負わされることになります。一方で、他の職業において過失の責任を負わされるのと同様、本当に過失がある場合の責任を回避してはならないと思います。
求めることとできることの乖離が、ここ何年か、激しくなってきているように思えます。ここで相互理解を諦めてしまうと、さらに乖離が広がることになります。これをやったら医療が崩壊するからやるな、というのはある意味では脅迫的言質であります。とはいえ、どうやったら本当の医療ミスに対しての補償可能性を担保しながら、見当違いの訴訟や責任被せに対する医師の負担を減らせるのか。医療訴訟ののどのくらいが、医療界の閉鎖性の問題による、医療ミスの隠蔽であり、また、どのくらいが実際には医療ミスではなかったのか、事実の統計的なものだけでなく、内容の分析による、本来的な分析結果などあれば、話が先に進む部分もあるかと思います。
でも、最終的なところでは、医師の側も患者の側も、お互いに誠実であらんとすることくらいしかないのかもしれません。