医療問題を考えるにあたって

ここ最近の色々な議論を見て思うこと。

業務自体が生死を扱うこと

他のどんな業務でも、日常の業務そのものが生死の問題を扱うということはないでしょう。交通機関とか、食品とかもそうじゃない?という意見もあるかと思いますが、人の生死に責任をもつことと、業務そのものが人の生死の問題である、というのは根本的に違うと考えています。

過失と通常業務のボーダーラインが低いこと

ここはいろんな意見があることと思います。過失に対する免罪符にならないような仕組みづくりも必要ですし、それしか打ちようのなかった手まで過失に数えられてしまわないようにしないといけませんが、ここをはっきりさせるのは容易ではないですね。

他の業界と比べること

最近事件がおきたこともあって、よく航空管制と比較されて、その世界的な潮流を医療でも適用しようぜみたいな話しになりがちですが、個人的にはここは明確に区別するところだと思っています。航空管制にはシステムや人のどこかにミスがあることによって起きた結果をどうするか、という話であり、医療問題は、避けられえなかった結果に対して責任問題を追求する必要があるか、という部分が含まれているからです。あえて並べるのであれば、医療ミスや医療行政の問題と、であり、広範な議論の中で持ち出すのはあまりよろしくないと思っています。

故意と過失

専門的知識がないと故意と過失を判断しづらいという点で、ボーダーラインは故意>過失>>>越えられない壁>>>通常業務みたいになるのが望ましいと思うし、過失について故意の可能性を留意するのは当然かと思いますが、殺人事件で殺意の有無を判断できる程度には裁判での故意認定は可能かと思いますので、そこは司法を信頼したい。できれば。過失と通常業務が混同されないことがリスク過多による逃散を減らすポイントのひとつだと思います。

免責

個人的には免責まで踏み込むことは不要と考えています。ただ、それに類する形で過失認定の厳格化(厳しく過失と捉えよ、というわけではなくて、一定要件を満たさないと過失と見做されないような)が必要だと思います。悪意がなかったといっても明らかに避けられたような過失を故意じゃないからといって免責するのはちょっと社会全体の考え方から見て逸脱しているようにも思えます。医療に限らない全ての業務上過失致死は免責せよ、という話なら納得ですが(もちろん、反対ですが)。

裁判員制度とか

事故に対するの厳罰化の風潮や某マスコミによる医者バッシング的なものがある中で、裁判員制度が始まったら、実態を見ずにマスコミの論調に踊らされて医者をはなから悪者扱いにしてしまうんじゃないかという危惧がちょっとあります。

余談

痴漢冤罪があるからといって痴漢を免責せよとは言わない問題…だって冤罪でしょ。冤罪が起きない仕組みづくりを要求している人は多いと思いますよ(犯罪防止を含めて)
死亡事故を起こす可能性のある自動車事故を免責せよとは言わない問題…次から次へ信号無視の歩行者自転車が現れたり高速は逆送車がいるのが当たり前だったら免責せよと言われそうな。
先進国では云々問題…医療崩壊済の国の事例を持ってくるとかどんだけ。