一億総ホワイトカラー幻想

いつだよ一億って、なんてのはどうでもいい。経済が成長すると単純労働のコストがあがって全体として次の産業にシフトすることはあるかもしれないけれど、グローバル化が進んだ時点の基幹産業たちは衰退が許されなくたった。ものづくり回帰と言っても実際には現状維持の一環であり。
ITが電脳ブルーカラーに支えられているのはもはや周知の事実だと思うけれど、未だにホワイトカラーだと思って職を求めるものが後を絶たない。むしろそれをはじめからわかってやっている人もいる。好きだから。成功することは好きの要件に入らない。
より上流に仕事がシフトする、というのはありえないことではないけれど、それは今の沢山の人が従事している仕事を切り捨てることだ。一度下流を手放してしまえばその産業そのものを手放したに等しい。上流は下流のノウハウ無しには成り立たない。つまり、見切りをつけたということだ。違うパラダイムに乗った仕事にシフトしていくだけだ。元のやり方のまま上流に居座ることはできない。
単純労働を低賃金の他国にアウトソースするのは、そういった仕事では日本では暮らしていけませんよというアナウンスであるけれど、それをどのように伝えてきたのだろう。個性重視(笑)?
日本は少し特殊な国であることは間違いない。ちょっと前まで一億総中流と言ってられた。この幻想の格差なし社会がいよいよ貧富の差という現実に現れた。差自体は昔からあったはずだけど、全体が貧しくて気がつかなかっただけかもしれない。
楽観的に上流にいくべき論を語る人は果たして差の拡大を許容しているのか、あるいは誰もが上流に行けるという幻想を持っているのか。上流は一歩間違えば死、の世界であり、仕事を生活の糧としてのみ考える人には荷が重い面もある。覚悟を強いるつもりで言っているのか切り捨てか。きれいごとなのか現実論か。
シフトしていくのは現実であろう。とすれば、夢だけ語っていても仕方がない。好きを貫くなんて悠長なこといっててよいのかね。古来からの成功しない芸術家の生涯をトレースする勧めじゃないよね?「ミケランジェロ工房(だっけ?)へ集え」とくらい言えないと空言ではあると思う